【漢詩】頼山陽「桜井の駅を過ぐの詩」~楠木正成・正行父子 桜井の別れ

頼山陽「桜井の駅を過ぐの詩」。『太平記』に名高い、楠木正成・正行父子の「桜井の別れ」にちなんだ詩です。
 

↓↓↓音声が再生されます↓↓

https://roudokus.com/mp3/Sakurai2.mp3

過桜井駅詩(さくらいのえきをすぐのし) 頼山陽

山崎西去桜井駅
伝是楠公訣子処
林際東指金剛山
堤樹依稀河内路
想見警報交奔馳
促駆羸羊餧獰虎
問耕拒奴織拒婢
国論顚倒君不悟
駅門立馬臨路岐
遺訓丁寧垂髫児
従騎粛聴皆含涙
児伏不去叱起之

山崎 西に去れば桜井の駅
伝(い)ふ 是れ 楠公(なんこう)子に訣(わか)るる処(ところ)と
林際(りんさい) 東を指せば金剛山(こんごうさん)
堤樹(ていじゅ) 依稀(いき)たり 河内(かわち)の路
想見(そうけん)す 警報 交(こもごも) 奔馳(ほんち)し
羸羊(るいよう)を促がし駆りて獰虎(どうこ)に餧(くらわ)せしを
耕(こう)を問ひて奴(ど)を拒み 織(しょく)に婢(ひ)を拒み
国論顚倒(こくろんてんとう)して君 悟らず
駅門(えきもん) 馬を立てて路の岐(わか)るるに臨み
遺訓丁寧(いくんていねい)なり 垂髫(すいちょう)の児(じ)
従騎(じゅうき) 粛(しゅく)として聴き 皆 涙を含み
児(じ)は伏して去らず 叱(しっ)して之(これ)を起たしむ

現代語訳

山崎を西に行けば桜井の駅である。
ここは楠公が息子正行と別れたところと伝えられる。
林の切れ目を西に指差せば金剛山が見える。

土手の並木の間に、河内路がかすかに見える。

思い起こせば賊軍足利尊氏が攻め来たったという知らせが、かわるがわる馳せ巡り、痩せた羊のような後醍醐天皇方を駆り立てて、獰猛な虎のような足利尊氏軍に食らいつかせた。

しかし農作業のことをきくのに農夫の言葉を拒み、機織りのことをきくのに機織り下女の言葉を拒むがごとく、すぐれた武将である楠木正成の意見を容れず、国論がひっくり返っていることを後醍醐帝は悟らなかった。

駅前の門で馬を立てて路の分岐点に臨んで、
正成はお下げ髪の我が子・正行に丁寧に訓戒した。

従う騎馬武者たちは厳粛に聞き、皆涙をふくみ
子はうずくまって去らないので、叱りつけてこれを起たせた。

語句

■山崎 淀川右岸。西国街道(山崎街道)沿いの宿。古くから交通の要衝。山崎から西に行ったところに桜井駅がある。■金剛山 奈良県と大阪府にまたがる金剛山地の主峰。楠木正成が鎌倉幕府軍を相手に戦った千早城や赤坂城がある。 ■堤樹 堤の土手の並木。 ■依稀 かすかに見えること。 ■想見 思い返す。 ■警報 賊軍である足利尊氏の軍勢が攻め上ってくるいうしらせ。 ■羸羊 やせ衰えた羊。後醍醐天皇方をさす。 ■獰虎 獰猛な虎。足利尊氏方をさす。 ■奴・婢 下僕・下女。それぞれ「耕」と「織」の専門家として、耳を傾けるべき相手ということ。 ■垂髫児 おさげ髪の子供。正行をさす。

解説

『太平記』によると、建武3年(1336)5月、九州から大軍を率いて上ってきた足利尊氏を討つため、楠木正成は摂津湊川へ向かいました。

途中、西国街道の桜井駅で、正成は11歳の息子正行(まさつら)に今後の生き方について訓戒を与え、別れの酒宴をもよおし、正行を故郷河内に帰したとあります。

楠正成、これを最後と思い定めたりければ、嫡子正行が十一歳にて父が共したりけるを、桜井の宿より河内へ帰し遣はすとて、泣く泣く庭訓を遺しけるは、「獅子は 子を産んで三日を経る時、万仞の石壁より母これを投ぐるに、その獅子の機分あれば、教へざるに中より身を翻して、死する事を得ずといへり。況や汝はすでに十歳に余れり。一言耳に留まらば、吾が戒に違ふ事なかれ。

今度の合戦天下の安否と思ふ間、今生にて汝が顔を見ん事、これを限りと思ふなり。正成討死すと聞かば、天下は必ず将軍の代となるべしと心得べし。しかりといへども、一旦の身命を資けんがために、多年の忠烈を失ひて、降参不義の行迹(ふるまひ)を致す事あるべからず。一族若党の一人も死に残つてあらん程は、金剛山に 引き籠り、敵寄せ来たらば、命を兵刃に堕し、名を後代に遺すべし。これをぞ汝が孝行と思ふべし」と、涙を拭つて申し含め、主上より給はりたる菊作りの刀を記念に見よとて取らせつつ、各東西に別れにけり。その消息を見ける武士ども皆感涙をぞ流しける。

『太平記』巻16「正成兵庫に下向の事」

しかし漢詩よりも、『太平記』よりも、有名なのは唱歌『桜井の訣別(別れ)』でしょう。

青葉茂れる桜井の
里のわたりの夕まぐれ
木の下陰に駒とめて
世の行く末をつくづくと
忍ぶ鎧の袖の上に
散るは涙かはた露か

ただし正成・正行父子が桜井駅で別れたという話は『太平記』以外の史料に一切記述がないため、『太平記』作者の創作であろうといわれています。

しかし実際に正成と正行は別行動して、それぞれ討ち死にしています。『太平記』に書かれたようなドラマチックな場面はなかったにしても、なんらかの「別れの場面」は父子の間にあったろうなと私は思ってます。

「楠公父子訣別の地、桜井を歩く」はこちら
https://sirdaizine.com/travel/Sakurai.html

日本人による漢詩

不識庵機山を撃つの図に題す(川中島) 頼山陽
https://kanshi.roudokus.com/kawanakajima.html

馬上少年過ぐ 伊達政宗
https://kanshi.roudokus.com/bajyousyounen.html

九月十日 菅原道真
https://kanshi.roudokus.com/kugatsutooka-michizane.html

九月十三夜 陣中の作 上杉謙信
https://kanshi.roudokus.com/kugatsujyuusanya.html

母を送る路上の短歌 頼山陽
https://kanshi.roudokus.com/hahaokuru.html

夏目漱石の伊予に之くを送る 正岡子規
https://kanshi.roudokus.com/souseki-iyo.html

よくわかる漢詩の知識

絶句とは?
https://kanshi.roudokus.com/KanshiSemi01.html

律詩とは?
https://kanshi.roudokus.com/KanshiSemi02.html

平仄とは?
https://kanshi.roudokus.com/KanshiSemi03.html

平仄のルール
https://kanshi.roudokus.com/KanshiSemi04.html

押韻、「韻を踏む」とは?
https://kanshi.roudokus.com/KanshiSemi05.html

ご支援をお願いします

このメルマガが「面白い」「役に立つ」と思われました方は、【米】【野菜】【酒】などの形でご支援ください。とくに【米】はもっとも助かり、うれしいです。

リンク先のamazonの「ほしいものリスト」からご注文いただきますと、私のもとに支援物資がとどきます。

日々のよい配信のため、ぜひご協力おねがいします。
↓↓
https://www.amazon.co.jp/hz/wishlist/dl/invite/arkWITx?ref_=wl_share

朗読:左大臣