不識庵機山を撃つの図に題す(川中島) 頼山陽

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題不識庵撃機山図 頼山陽
鞭聲粛粛夜過河
暁見千兵擁大牙
遺恨十年磨一剣
流星光底逸長蛇

不識庵(ふしきあん) 機山(きざん)を撃(う)つの図(ず)に題(だい)す
鞭聲粛々(べんせいしゅくしゅく)夜河(よるかわ)を過(わた)る
暁(あかつき)に見(み)る千兵(せんぺい)の大牙(たいが)を擁(よう)するを
遺恨十年(いこんじゅうねん)一剣(いっけん)を磨(みが)き
流星光底(りゅうせいこうてい)長蛇(ちょうだ)を逸(いっ)す

現代語訳

馬に当てる鞭の音も静かに、
夜中、上杉軍は千曲川を渡り、川中島にたどり着く。

明け方になって武田軍が気づくと、
目の前に千万の敵兵が旗を擁して迫ってくる。

謙信はこの十年の間、
信玄を討とうと一心に剣を磨いてきたのだ。

そしてあわやとおどりかかる瞬間、
剣の閃光がきらめく。

だが信玄は咄嗟にその剣を避け、逃げ延びる。
またしても討てなかったのだ。

その時の謙信の無念を思うと、 なんとも心苦しい。

語句

■不識庵 上杉謙信。 ■機山 武田信玄。■鞭聲粛々 鞭の音を抑えて、ひっそり進んでいるさま。 ■大牙 大将旗。 ■遺恨十年 謙信が信玄を打とうとこの十年ひたすら剣を磨いてきたこと。 ■流星光底 打ち下ろした剣の閃光の下に。 ■長蛇 大敵。ここでは信玄。

解説

永禄4年(1561)九月十日の第四次川中島合戦を歌った詩です。

『甲陽軍鑑』などによると、永禄四年(1561)九月九日、上杉軍は妻女山に、武田軍は海津城に布陣し、むかいあっていました。両地点は千曲川の南で、相互に3.5キロほどはなれています。

武田軍は山本勘助の献策により、妻女山にたてこもる上杉軍に背後から奇襲をしかけ、八幡原におびきだそうとします。

上杉軍は武田軍のうごきを察知し、これを逆手にとろうと、九月九日の夜、ひそかに雨宮渡(あめのみやのわたし)から千曲川をわたり、夜明け前に八幡原に布陣しました。

九月十日朝、武田軍が八幡原に押し寄せると、深い霧があたりを覆っていました。やがて霧が晴れてくると、上杉の大軍が目の前にあらわれます。

「さては察知されていたか!」

信玄は全軍に指示を出し、上杉軍の車懸りの陣に対して、鶴翼の陣で対抗。妻女山にむかった別働隊が合流するまで苦戦をしいられます。

この間、武田典厩信繁(たけだてんきゅうのぶしげ。信玄の弟)、両角豊後守(もろずみぶんごのかみ)、山本勘助といった、名だたる武田の武将が命を落としました。

この戦いのさなか、上杉謙信が単騎、武田信玄の本陣に駆け入り、信玄に斬りかかったと伝えられます。謙信は名刀「小豆長光(あずきながみつ)」で信玄に斬りかかるも、信玄はこれを軍配扇で受け、ついに謙信は信玄を打ち取ることができずに撤退していったと。

このとき信玄が謙信の刀を受けた軍配扇をつくづくとみると、受けたのは三刀なのに七つの傷がついていたと、「三太刀七太刀(みたちななたち)」の逸話がつたえられます。

「鞭聲粛粛夜過河」は、上杉軍が夜中、雨宮渡から千曲川をわたる場面、「暁見千兵擁大牙」は、武田軍が八幡原で上杉の大軍を前にした場面、「遺恨十年磨一剣流星光底逸長蛇」は謙信がからくも信玄をのがしてしまったことをうたっています。

実際に一騎打ちがあったかどうかは定かではありませんが、かならずしも荒唐無稽な作り話とはいえないと、歴史学者の間でも意見が分かれています。

九月十三夜 上杉謙信
↑こちらは謙信の作。

偶作 武田信玄
↑そしてこちらが信玄の作です。

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朗読:左大臣光永

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