夜 分寧を発し杜澗叟に寄す 黄庭堅
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夜発分寧寄杜澗叟 黄庭堅
陽関一曲水東流
燈火旌陽一釣舟
我自只如常日酔
満川風月替人愁
夜(よる)分寧(ぶんねい)を発(はっ)して杜澗叟(とかんそう)に寄(よ)す 黄庭堅(こうていけん)
陽関(ようかん)の一曲(いっきょく) 水(みず)は東(ひがし)に流(なが)れ
灯火(とうか) 旌陽(せいよう) 一釣舟(いちちょうしゅう)
我(わ)れ自(みずか)ら只(た)だ常日(じょうじつ)の酔(えい)の如(ごと)し
満川(まんせん)の風月(ふうげつ) 人(ひと)に替(かわ)って愁(うれ)う
現代語訳
「陽関」の曲に送られるように水は東に流れる。
灯火が照らす旌陽山のふもとの町を、
私は一双の釣り舟に乗って出発する。
私はいつも通り酔っ払っている。
川を満たす風と月灯りが、私の代わりに
別れを惜しんでくれている。
語句
■分寧 洪州分寧(江西省修水県)。黄庭堅の故郷。 ■杜澗叟 詳細不明。作者の友人らしい。 ■陽関 王維「送元二使安西」。別れの曲。 ■旌陽 分寧の東にある山。修水を見下ろす。 ■如常日酔 自嘲的に歌っている。 ■替人愁 実際には愁いを感じているのは筆者という人間なのだが、愁いの主体を「満川風月」にすることで悲しみが客体化され、中和される。
解説
黄庭堅が故郷を出発するときの作品です。
別れの湿っぽさは川面を満たす風と月光に任せるさ、と。
イキな表現です。
【陽関】は王維の「元二の安西に使するを送る」の別名。
この曲の一部を三回吟ずることを「陽関三畳」といい、
別れの席での定番です。
黄庭堅(1045-1105)。字は魯直。号は山谷道人。フウ翁。洪州分寧(現在の江西省修水県)の人。1067年の進士(23歳)。
蘇軾と共に王安石の新法派と対立したため、河南・北京・江西・山東などの辺境地に飛ばされます。
36歳の時、蘇軾の門下に入り、張耒(ちょうらい)、晁補之(ちょうほし)、秦観と共に「蘇門四学士」と称されます。
また、師の蘇軾と並び「蘇黄」と併称されました。
ただし蘇軾は黄庭堅を門人としてより友人として遇したといいます。
詩・書・画と多分野で才能を発揮した方です。
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