念奴嬌 蘇軾(蘇東坡)(ねんどきょう そしょく・そとうば)

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念奴嬌 蘇軾
大江東去
浪淘盡、千古風流人物
故壘西邊
人道是、三國周郞赤壁
亂石穿空
驚濤拍岸
卷起千堆雪
江山如畫
一時多少豪傑
遙想公瑾當年
小喬初嫁了
雄姿英發
羽扇綸巾
談笑間、檣櫓灰飛煙滅
故國神遊
多情應笑我
早生華髪
人間如夢
一樽還酹江月

念奴嬌 蘇軾
大江(たいこう) 東(ひがし)に去(さ)り
浪(なみ)は淘(あら)い盡(つ)くす、千古風流(せんこふうりゅう)の人物(じんぶつ)を
故塁(こるい) 西(にし)の辺(へん)
人(ひと)は道(い)う 是(こ)れ三国周郞(さんごくしゅうろう)の赤壁(せきへき)なりと
乱石(らんせき)は空(そら)を穿(うが)ち
驚濤(きょうとう)は岸(きし)を拍(う)ち
巻(ま)き起(お)こす 千堆(せんたい)の雪(ゆき)
江山(こうざん)は画(が)の如(ごと)し
一時(いちじ) 多少(いくばく)の豪傑(ごうけつ)ぞ
遥(はる)かに想(おも)う 公瑾(こうきん)の当年(とうねん)
小喬(しょうきょう) 初(はじ)めて嫁(か)し
雄姿(ゆうし) 英発(えいはつ)せるを
羽扇(うせん) 綸巾(かんきん) 談笑(だんしょう)の間(ま)に
檣櫓(しょうろ)は灰(はい)と飛(と)び煙(けむり)と滅(めっ)す
故国(ここく)に神(こころ)を遊(あそ)ばせ
多情(たじょう) 応(まさ)に我(われ)を笑(わら)うべし
早(はや)くも華髪(かはつ)を生(しょう)ぜしと
人間(じんかん)は夢(ゆめ)の如(ごと)し
一尊(いっそん)もて還(な)お江月(こうげつ)にそそがん

現代語訳

大河(長江)は東に流れ、波は千年来の風流人たちをすべて
洗い流していった。

古いとりでの西のあたり、
人は言う。これは三国時代、周瑜が戦った赤壁の跡であると。

乱立した石は空を突き崩し、波は岸を打ち、
降り積もった雪を巻き上げる。

川も山も絵に描いたようだ。
かつてあんなにいた豪傑たちは、どこへ消えてしまったのか。

赤壁の戦いの年、周瑜は小喬を嫁に迎えたばかり。
どんなに勇ましい、颯爽とした姿だったろう。

手には羽扇を持ち、頭には絹の頭巾をかぶり、談笑の間に策を練り、
敵の艦隊を焼き尽くして灰燼にした。

今、その赤壁の古戦場で思いを廻らせている。
思いいれの激しさゆえに白髪になったと笑う人もいるかもしれない。

人生は一時の夢のようなものだ。
まずこの酒樽を江上の月に注ごう。

解説

赤壁の戦いにおける周瑜を歌った詩です。208年、長江の赤壁において曹操軍と劉備・孫権連合軍が争います。

周瑜(175-210)。字は公瑾。呉軍の最高司令官。「美周郎」などといわれ、イケメンの印象の強い人物です。

小喬は呉の美人姉妹として知られていた大喬・小喬の妹のほう。小喬は周瑜に、姉の大喬は孫策に嫁ぎました。

杜牧「赤壁」では、赤壁の戦いにおける「if」が展開されています。

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朗読:左大臣光永

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