峨眉山月の歌 李白(がびさんげつのうた りはく)

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峨眉山月歌 李白
峨眉山月半輪秋
影入平羌江水流
夜發清溪向三峽
思君不見下渝州

峨眉山月の歌 李白
峨眉山月半輪の秋
影は平羌江水に入って流る
夜 清溪を發して三峽に向ふ
君を思へども見えず渝州に下る

秋の峨眉山には片割れ月がかかり、
月影は平羌の流れに映りこんで流れていく。
私は夜に清渓を出発して三峡に向かう。
川下りの間ずっと月を見たいと思っていたのだが、とうとう見えないまま渝州に下ってしまった。

峨眉山、清渓⇒青衣江⇒渝州⇒三峡
【峨眉山、清渓⇒青衣江⇒渝州⇒三峡】

語句

■峨眉山 四川省峨眉の東南にあるけわしい山。最初「蛾眉」と書いていたのを「峨眉」と改めた。二つの峰が向かい合って蛾の眉のように見えるからこう言う。五大山、天台山と並び、仏教の霊場として知られる。また女性の眉を「蛾尾」ということから、ここでは女性を指しているとも。 ■平羌江 峨眉山の北側を流れる青衣江(せいいこう)の古い呼び名。四川省雅安県から峨眉山の北を流れ、大渡河と合流する。諸葛亮孔明が羌夷を平定したのでこう呼ぶ。三峡 四川省の奉節県から湖北省の宣昌までの大渓谷。途中三つの渓谷があるのをまとめて、「三峡」という。「三峡」の三つをどれにするかは諸説あり。広渓峡・巫山峡・西陵峡・明月峡・黄牛峡・瞿塘峡・石洞峡・帰郷峡などの中から三つを数える。■清渓宿駅の名。四川省漢源県。■渝州 今の重慶。

解説

25歳の李白は舟に乗って故郷の蜀を後にします。舟といっても個人で漕ぐようなボートではなく、何人も乗れる豪華客船です。右を見ると故郷を象徴する山、峨眉山。仙人が住むという伝説のある峨眉山がそびえています。その山際には片割れ月が出ています。

これから広い世界を見てやる。そして名士の推薦をもらって、あわよくば都で一花咲かせよう。25歳の青年李白の胸には、さまざまな期待と不安が入り混じっていました。

李白の父は裕福な商人だったというのが定説です。生活には苦労がありませんでした。しかし25歳で故郷の蜀を離れたのを最後に、生涯二度と戻ってきませんでした。なぜなのか?もしかしたら李白は次男坊で、家業は長男が継ぎ、お前は才能もあるし、商売は継がせられないし、せめて好きなことやってみろ。仕送りはするから。わかりました父上…もしかしたら、そんな流れだったかもしれません。

舟は切り立った崖の合間を進んでいきます。はじめは見えていた月もいつしか崖で隠されてしまい、船はやがて長江で最も流れの速い三峡を目指して、やがて渝州(重慶)に到ります。

「はあ…月も隠れてしまった。成都に残してきた
愛しい娘は、今頃どうしているだろうか」

船べりによりかかって、ふうとため息をつく、青年李白。

「君を思へども見えず」の「君」は、表面的には「月」を指しますが、ここでは李白が故郷に残してきた恋人でもいて、思いやっているという説も有力です。

「峨眉山」は最初「蛾眉山」と書いており、蛾の触角のようにきれいなカーブを描く女性の眉、つまり女性の象徴です。だから「峨眉山」という地名からも、女性のことを歌っていることが感じられるわけです。

「峨眉山」「平羌」「清溪」「三峽」「渝州」と5つも固有名詞(地名)を織り込んでいるのがポイントです。

しかもこれは単なる地名ではなく、文字の持つイメージを大切にしています。たとえば「平羌」なら、まっ平らな水面が、「清溪」なら清らかな水の流れが浮かびますよね。また「眉」「平」「清」はすべて、「月」という言葉を導く縁語になっています。

しかも、それがわざとらしくなく、自然な風景の中に溶け込んでいる…見事な詩です。明の文章家、王世貞(おうせいてい)(1526-90)はこの詩を「太白の佳境なり」と絶賛しました。

経路としては【清渓】⇒【渝州】⇒【三峡】と進んだわけです。

峨眉山、清渓⇒青衣江⇒渝州⇒三峡
【峨眉山、清渓⇒青衣江⇒渝州⇒三峡】

早に白帝城を発す
同じく有名な三峡下りを扱った詩です。

朗読:左大臣光永

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