将に東遊せんとして壁に題す 釈月性(まさにとうゆうせんとしてかべにだいす しゃくげっしょう)

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将東遊題壁 釈月性
男児立志出郷関
学若無成不復還
埋骨豈期墳墓地
人間到處有青山

将(まさ)に東遊(とうゆう)せんとして壁(かべ)に題(だい)す 釈月性(しゃくげっしょう)
男児(だんじ) 志(こころざし)を立(た)てて郷関(きょうかん)を出(い)づ
学(がく) 若(も)し成(な)る無(な)くんば復(ま)た還(かえ)らず
骨(ほね)を埋(うづ)む 豈(あに)墳墓(ふんぼ)の地(ち)を期(き)せんや
人間(じんかん) 到(いたる)る処(ところ) 青山(せいざん)あり

現代語訳

男児たるもの、いったん志を立てて郷里を離れるからには
学問が大成しない限り二度と戻らない覚悟である。

ちゃんとした墓地に埋葬されようなどという考えはとうに捨てている。
どんな場所で野垂れ死のうと、本望である。

語句

■郷関 故郷の関所。 ■人間 じんかん。人生。世の中。良寛「半夜」「人間の是非は一夢の内」参照。 ■青山 墓。墓地に常緑樹をうえたことから。

解説

男児志を立てて郷関を出づ」と結句「人間到る処青山あり」が有名ですね。

幕末の勤皇志士たちの精神的支えになった詩です。

もうメチャクチャ気合が入ります。朗読して気分がいい詩です。

月性(げっしょう)(1817-1858)。幕末の尊皇攘夷派の僧。字は智円。周防国大島郡遠崎村、妙円寺の第九代住職。

長崎に遊学時にオランダ船を見て海防の必要性を実感。幕府にしきりに訴えたので「海防僧」と呼ばれます。

天保14(1843)年夏、月性は思うところあって郷里を離れ上京。その時に作ったのがこの「将に東遊せんとして壁に題す」です。

ちなみにこの年、後に同志社大学を創設する新島襄が生まれています。

大坂に出た月性は篠崎小竹(しのざき しょうちく)の梅花塾(ばいかじゅく)に入り、すぐに塾頭に抜擢されます。大坂滞在中は京坂・江戸・北越を遊学し名士と交流しました。この遊学は17年間にも及び、萩の吉田松陰とは特に意気投合しました。

安政3(1856)年西本願寺に招かれて上洛。
梁川星厳・梅田雲浜らの志士と交流。

幕府の蝦夷経営に本願寺教僧として招かれ赴く途中、病没。42歳。

著作『仏法護国論』。

西郷隆盛とともに入水自殺した月照とは別人です。

朗読:左大臣光永

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