湘夫人 屈原(しょうふじん くつげん)

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湘夫人 屈原
帝子降兮北渚
目眇眇兮愁予
嫋嫋兮秋風
洞庭波兮木葉下

湘夫人(しょうふじん) 屈原(くつげん)
帝子(ていし) 北渚(ほくちょ)に下れり
目は眇眇(びょうびょう)として予(わ)れを愁(うれ)えしむ
嫋嫋(じょうじょう)たる秋風(しゅんぷう)
洞庭(どうてい) 波だちて木葉(もくよう)下る

現代語訳

その昔、帝王堯の姫御子湘君は
ここ洞庭湖の北岸に降臨されたという。

今、その向う岸を眺めやると景色は霞み、
私の心は悲しみに暮れるのだ。

なよなよと吹く秋風に洞庭湖の水は波立ち、
木の葉が舞い降りている。

解説

『楚辞』の「九歌」の中の一篇。男神の湘君が女神の湘夫人を慕って歌う歌。その冒頭部分です。

屈原(BC340-BC278?)。春秋戦国時代の楚の政治家・詩人。名は平。字は原。楚の王族出身。

当時の楚は、西の秦と同盟するか、東の斉と同盟するか、意見が割れていました。

屈原は秦は信用できないとし、斉との同盟を唱えました。しかし親秦派の讒言にあい、追放されます。

長編叙事詩「離騒」は、政界を離れる時の屈原の気持ちを反映したものです。

その後、屈原は政界に復帰をはたすも、秦の謀略家張儀の策略で楚は滅ぼされてしまいます。

祖国を失った屈原は絶望し、石を抱いて汨羅江(べきらこう)に入水しました。

【洞庭】は洞庭湖。湖南省北東部の景勝。杜甫「登岳陽楼」参照。

朗読:左大臣光永

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