夜郎に流されて辛判官に贈る 李白

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流夜郎贈辛判官 李白

昔在長安醉花柳
五侯七貴同杯酒
氣岸遥凌豪士前
風流肯落他人後
夫子紅顏我少年
章臺走馬著金鞭
文章獻納麒麟殿
歌舞淹留玳瑁筵

與君自謂長如此
寧知草動風塵起
函谷忽驚胡馬来
秦宮桃李向胡開
我愁遠謫夜郎去 
何日金鶏放赦廻

夜郎(やろう)に流されて辛判官(しんはんがん)に贈る 李白
昔 長安に在りて花柳(かりゅう)に酔(よ)ふ
五侯七貴(ごこうしちき) 杯酒(はいしゅ)を同じくす
気岸(きがん) 遥かに凌(しの)ぐ豪士(ごうし)の前(まえ)
風流(ふうりゅう) 肯(あ)へて落ちんや 他人(たにん)の後(のち)
夫子(ふうし)は紅顔(こうがん) 我(われ)は少年(しょうねん)
章台(しょうだい)に馬(うま)を走らせて金鞭(きんべん)を著(つ)く
文章(ぶんしょう) 献納(けんのう)す 麒麟殿(きりんでん)
歌舞(かぶ) 淹留(えんりゅう)す 玳瑁(たいまい)の筵(えん)

君と自(おのづ)から謂(い)ふ 長(とこしな)へに此(かく)の如(ごと)しと 
寧(いずくんぞ)ぞ知らん草動いて風塵(ふうじん)の起こるを
函谷(かんこく) 忽(たちま)ち驚(おどろ)く胡馬(こば)の来(きた)るに
秦宮(しんきゅう)の桃李(とうり) 胡(こ)に向って開く
我は愁(うれ)ふ 遠く謫(てき)せられて夜郎(やろう)に去るを
何(いず)れの日か 金鶏(きんけい)放赦(ほうしゃ)して廻(めぐ)らん

夜郎

現代語訳

昔、長安にいた頃は、二人して歓楽街で酔ったものだね
さまざまな王侯貴族と盃を交わしたね。
私たちの気位は、英雄豪傑をはるかに凌いでいた。
風流・風雅においても、誰にも負けるつもりはなかった。

あの頃、君も私も紅顔の若者だった。
章台(しょうだい)の色町に馬を走らせ金の鞭を当てたものだ。
文章をあらわしては、麒麟殿(きりんでん)に献上した。
歌や舞を楽しみ、長い間、ぜいたくな酒宴の席に留まっていた。

君と勝手に言い合ったものだ。永遠にこんな楽しい日々が続くだろうと。
どうして予測できただろう。草が動いて戦乱の風塵が起こるのを。
函谷関はたちまち異民族の騎馬軍団の襲来に驚き、
長安宮の桃や李までが、異民族に向かって花開くことになろうとは。
私は憂鬱に沈む。遠く流されて夜郎の地まで去っていくことを。
いつになったら、恩赦の金の鶏を掲げた朝廷の使者が届き、
放免されるのだろうか。

語句

■夜郎 李白は安禄山の乱のさなか、永王李リンの水軍に幕僚として参加したが、李リンは兄である皇帝粛宗にだまって無断で決起したため、反逆者として処刑される。知らずに参加していた李白も罪を問われ、貴州省西北部、正安県西北の夜郎に流されることとなった。しかし、途中白帝城のあたりで恩赦の使者が届き、罪許された。 ■辛判官 辛という姓の判官。「判官」は節度使や観察使の属官。 ■花柳 行楽・歓楽。 ■五侯七貴 さまざまな諸侯や貴族。 ■気岸 気位の高さ。 ■豪士 英雄豪傑。 ■風流 風雅。 ■夫子 男子への敬称。君。 ■章臺 長安の西南の隅にあった高楼の付近に広がっていた繁華街(色町)。そこから繁華街一般のことも言う。 ■著金鞭 黄金の鞭を当てる。実際に鞭が金でてきている?Rではなくて、華やかな感じを出したもの。 ■麒麟殿 前漢の長安の未央宮の一殿舎。 ■淹留 長く留まること。 ■玳瑁筵 立派な酒席。「瑁筵」は大海亀。その甲羅がべっこうとして酒席に用いられることから。酒席の美称。

■草動風塵起 安禄山の乱を指す。 ■函谷 北中国を東西に二分する関所だが、唐代にはその役割を終え、長安の東120キロの憧関(どうかん、陝西省憧関)がその役割をになっていた。よってここでは憧関のこと。 ■胡馬 異民族の騎兵。 ■秦宮 唐王朝の長安の宮殿。すぐ近くに秦王朝の宮殿「咸陽宮」があることから「秦」宮という。 ■金鶏 恩赦を下す時に、朝廷の使者が、黄金の鶏の模型を竿の上にとまらせ、その口に赤い幟(のぼり)をくわえさせて知らせとした。恩赦・大赦の意味。

解説

755年に勃発した安禄山の乱のさなか、前皇帝玄宗の第16子、永王李リンが反乱軍に反撃の狼煙を上げました。その時李白は戦乱を避けて廬山に隠棲していましたが、永王李リンに呼びかけに応え、幕僚として李リンの軍に加わりました。

国家存亡の危機である今この時こそ、わが活躍の時!いきり立つ李白。しかし、永王李リンは兄である皇帝粛宗に無断で水軍を起こしており、後にこれを粛宗よりとがめられ、反逆者として処刑されます。

永王李リンの軍に加わっていた李白も、そんな事情は知らなかったとはいえ、ただではすみませんでした。758年、李白は、はるか西の方。夜郎(貴州省西北部)という場所に流されることとなります。

夜郎

この詩は夜郎に流されるにあたって李白が、若い時代をともに過ごした友人…とおぼしき人物・辛判官に送ったものです。

「辛判官」は「辛」という姓の判官。判官は唐王朝の地方官である節度使や観察使の副官を指す言葉です。つまり「辛判官」とは「判官の職にある辛さん」ということです。

前半は、長安の色町できらびやかな風流をつくし、王侯貴族とも盃をかわした、若い頃の思い出がなつかしく語られます。

後半は一変して、戦が起こり、世の中がひっくり返ってしまったこと。異民族の騎馬軍団に函谷関が破られ、ついに唐王朝の天子の宮殿である長安宮まで異民族がわが者顔に入り込んでしまった、その、嘆かわしさが語られます。

函谷関といっていますが、唐王朝の時代には古くからの函谷関はその役割を終え、長安の東120キロの憧関がその役割をになっていました。だからここで函谷関といっているのは、実はは憧関のことです。

憧関を守る唐王朝の将軍哥舒翰(かじょかん)は、あっけなく安禄山軍に破られ捕虜となり、敵は長安になだれこみ、さらに長安宮の中まで入り込んで、わが者顔に闊歩するようになりました。そのことが、「秦宮の桃李 胡に向って開く(長安宮の桃や李までが、異民族に向かって花開いている)」と、嘆かわしく語られています。

「金鶏」(金の鶏)とは、 恩赦を下す時に、朝廷の使者が、黄金の鶏の模型を竿の上にとまらせ、その口に赤い幟(のぼり)をくわえさせて知らせとしました。だから「金鶏」(金の鶏)とは恩赦・大赦の意味です。

罪を得た李白は船に乗せられ長江をさかのぼります。といっても窮屈な囚われの身ではなく、途中観光したり友人たちと会いながら、のんびりと護送されていったようです。

759年8月。白帝城のあたりで李白の乗った船に朝廷の船が追いつき、恩赦によって罪許されたことを告げました。「やった!助かった!」李白は飛び上がって喜んだことでしょう。この詩の通り、李白の願いはかなったのでした。

朗読:左大臣光永

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