南流夜郎寄内 李白
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南流夜郎寄内 李白
夜郎天外怨離居
名月楼中音信疎
北雁春帰看欲尽
南来不得豫章書南のかた夜郎に流されて内(つま)に寄す 李白
夜郎(やろう)の天外(てんがい) 離居(りきょ)を怨(うら)み
名月(めいげつ)の楼中(ろうちゅう) 音信(おんしん)疎(そ)なり
北雁(ほくがん) 春に帰って看(み)すみす尽(つ)きんと欲(ほっ)す
南来(なんらい)に得(え)ず 豫章(よしょう)の書(しょ)
現代語訳
はるか地の果て夜郎に流されてお前と離れ離れになるのが恨めしい。
名月が高楼の中を照らしているがお前からの手紙は長く途絶えている。
北からの雁も春には帰っていき、その姿を見るのも稀になってくる。豫章にいるお前からの手紙を、南の夜郎まで運んでくれるわけもないし。
語句
■北雁 北からの手紙を運ぶ雁。前漢時代、将軍蘇武は北方遊牧民の匈奴に捕らえられ、捕虜になる。長年にわたって故郷と連絡がつかない中、蘇武は雁の足に手紙を結び付けて、自分の居場所を知らせたといわれる。 ■看欲尽 「看」は姿を見ること。「尽」は途絶えてしまうこと。 ■欲 だんだんそうなる。(雁の姿を見ることも)だんだん無くなってくる。 ■南来 南へ雁が帰っていくこと。■得ず できない。■豫章書 「豫章」は江西省南昌市。李白の妻宗氏がいたところ。豫章からの手紙。
解説
西暦755年に勃発した安史の乱のさなか、李白は永王李リンの叛乱に連座して、そのことで処罰され、はるか西の夜郎に流されることになりました。永王李リンは兄である粛宗皇帝に無断で軍隊を動かしたために、兄粛宗から「反乱」とみなされたのでした。
李白は反乱軍と戦うため、国家の危機を救うために李リン軍に加わったものの、そんな複雑な事情があるとは知りませんでした。
「なぜ私が罰せられるんだ!理不尽だ!」
そんな気持ちも、あったことでしょう。
この詩には、途方に暮れている李白の心細さがにじみ出ています。
しかし夜郎に流される途中の白帝城付近で、朝廷の使者が李白に追いつき、恩赦によって罪許されたされたことを伝えます。この頃干ばつがあったため、死罪や流罪になった者に恩赦を与える決定がなされたのでした。また李白の親類が、釈放されるよう、ほうぼうに根回しをしてくれたこともあったでしょう。
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