与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇御製

嵯峨天皇御製「海公と茶を飲み山に帰るを送る一首」。

天皇と弘法大師空海との交友をうたった詩です。

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与海公飲茶送帰山一首 嵯峨天皇御製

道俗相分経数年
今秋晤語亦良縁
香茶酌罷日伝暮
稽首傷離望雲烟

海公と茶を飲み山に帰るを送る一首 嵯峨天皇御製

道俗《どうぞく》 相分かれて数年を経たり
今秋《こんしゅう》 晤語《ごご》するも亦《ま》た良縁《りょうえん》
香茶《こうさ》酌《く》み罷《や》みて日ここに暮れる
稽首《けいしゅ》して離《わか》れを傷《いた》み雲烟《うんえん》を望む

現代語訳

出家の身の空海と俗人たる私とが、別れてから数年がたった。

この秋、ひさしぶりに向き合って話せたのも、また良縁というものだろう。

香り高い茶を酌んでは止めて話し、そうこうしている内に日が暮れてきた。

うやうやしく頭を垂れて別れを傷み、はるかの雲と霞を望む。

語句

■海公 弘法大師空海。 ■山 高野山。昔の旅は夜のうちに出発する。 ■道俗 出家の身と俗人。前者は空海。後者は嵯峨天皇。 ■晤語 向き合って打ち解けて話すこと。 ■香茶 香り高い茶。 ■酌罷 茶を酌む動作と、止める動作。茶を飲みながら楽しく語らったことをしめす。 ■稽首 うやうやしく礼をすること。

嵯峨天皇が数年ぶりに空海と会い、茶を酌み交わして歓談した、日が暮れると空海は帰っていく。それを天皇はうやうやしく礼をして見送ったという詩。

嵯峨天皇

52代嵯峨天皇。桓武天皇の第二皇子。平安京遷都後三代目の天皇。30年間にわたり天皇・上皇として君臨し、「弘仁・貞観文化」をみちびいた。譲位後は離宮嵯峨院(現大覚寺)を拠点に風流三昧にふけった。空海に教王護国寺(東寺)を与えた。能書家しても知られ、橘逸勢、空海とならび「三筆」と称される。いけばな嵯峨御流の祖。49名(系図より)の皇子皇女がおり、多くが臣籍降下して嵯峨源氏となった。

嵯峨大覚寺と大沢の池

大覚寺は貞観18年(876)嵯峨天皇の離宮(離宮嵯峨院)を寺とし、歴代の天皇や皇族が住寺をつとめた門跡寺院。

境内の「天神島」にはこの詩を刻んだ「嵯峨天皇詠碑(さがてんのううたひ)」があります。

すぐそばに紀友則の歌碑。

ひともとと おもひし菊を
おほさはの
池のそこにも たれかうえけん 紀友則

(古今・巻第五 秋歌下)

(一本だけと思っていた菊の花を大沢池の底に誰が植えたのだろう。水面に映り込む菊の花をよむ)

大沢池は周囲1キロの日本最古の人口の池。嵯峨天皇が離宮の造営にあたって、中国の洞庭湖を模して造られたといいます。中秋の名月には、舟遊びを好まれた嵯峨天皇をしのんで「観月の夕べ」が開かれます。

嵯峨天皇の時代、大沢池のほとりに「名古曽の滝」があり、後にこの地をおとずれた藤原公任が、

滝の音は絶えて久しくなりぬれど 名こそ流れてなほ聞こえけれ 大納言公任

(拾遺・巻8・雑上)

(滝の音は途絶えて久しいが、その評判は流れ流れて現在まで聞こえている)

とよみました(小倉百人一首55番)。現在、滝の石組跡が残っています。

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