勧酒 于武陵(さけをすすむ うぶりょう)
勧酒 于武陵
勸君金屈卮
滿酌不須辭
花發多風雨
人生足別離
酒(さけ)を勧(すす)む 于武陵(うぶりょう)
君に勧(すす)む金屈卮(きんくつし)
満酌(まんしゃく) 辞(じ)するを須(もち)いず
花発(ひら)けば風雨(ふうう)多(おお)し
人生(じんせい) 別離(べつり)足(た)る
現代語訳
さあ私の酒を飲んでくれ。
杯いっぱいに注いだこの酒を。遠慮は無しだ。
花が開けばたちまち嵐で吹き散らされてしまう。
人生、どっちを向いても別ればかりだ。
語句
■金屈卮 曲がった柄のついた金属製の杯。 ■満酌 杯いっぱいに酒を注いだ状態。■足る とても多い。~だらけだ。
解説
私は、漢詩の朗読ということを始めたきっかけは、「このすばらしい文化を後世に伝えよう」とか、「失われつつある漢詩文の素養を、日本人はとりもどさなくてはならない!」とか、
そういう教育的な見地からでは、まったく、ないです。
私は、教育とか、啓蒙といったことには、まっったく興味がなく、
正直、赤の他人がかしこくなろうが、愚かになろうが、どっちでもいいです。
私が漢詩の朗読をつづけてきたのは、
【酒を美味しく飲むため】
ただひたすら、
【酒を美味しく飲むため】
です。
【漢詩と酒】
【酒と漢詩】
両者は、切っても切れない関係にあります。
有名な漢詩を見渡せば、
「君に勧む金屈卮」とか、
「葡萄の美酒夜光の盃」とか、
「一杯一杯また一杯」とか、
「會(かなら)ず須(すべか)らく一飮三百杯なるべし」とか
酒についての、きらびやかな、珠玉のことばで満ち満ちています。
昔の人はなんと酒をたのしく、ゆたかに飲んだのかと、うれしくなります。
もちろん、唐の時代の獨酒と、現在の日本酒とは、まったく違うものですが、
それでも、
ヨッパライの精神においては、
時と、場所を問わず、
通じるものがあるのではと思うのです。
飲み屋に一人で入って、こう…表通りが見える席にすわって、
通りを右に左に行き交う人々をながめながら、
ああ、あの一人一人に、人生があるのだ、
それぞれに物語があるのだと、
しみじみ思いながら、ちびりちびりと飲む。
そこで、漢詩の一節を、小声でつぶやく。すると、
ただでさえうまい酒に、さらに芳醇な味わいが、加わることです。
こうした、きわめて個人的で、自己満足で、公共性のまったくないことのために、
私は「漢詩の朗読」というサイトを12年間、運営してきたんですが、
毎日何千人もの方が聴きに来てくださるのは、
ありがたいことです。
井伏鱒二の訳がよく知られています。
コノサカズキヲ受ケテクレ
ドウゾナミナミツガシテオクレ
ハナニアラシノタトヘモアルゾ
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
太宰治が酔うといつもこの訳詩を口ずさんでいたということです。
于武陵(810-?)。名はギョウ。字は武陵。杜曲(陝西省西安市の南郊)の人。大中年間(848-859)に進士となるも、役人生活に見切りをつけて各地を放浪。晩年は洛陽の東の嵩山(すうざん)の南に隠棲した。
次の漢詩「山亭夏日 高駢」