王昭君 李白

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王昭君 李白
漢家秦地月
流影照明妃
一上玉関道
天涯去不帰。
漢月還従東海出
明妃西嫁無来日
燕支長寒雪作花
蛾眉憔悴没胡沙
生乏黄金枉図画
死留青塚使人嗟

王昭君(おうしょうくん) 李白
漢家(かんか) 秦地(しんち)の月
流影(りゅうえい) 明妃(めいひ)を照らす
一(ひと)たび玉関(ぎょっかん)の道に上(のぼ)り
天涯(てんがい) 去って帰らず
漢月(かんげつ)は還(ま)た 東海(とうかい)より出(い)づるも
明妃(めいひ)は西に嫁(か)して来たる日無し
燕支(えんし) 長(とこし)えに寒くして 雪は花と作(な)り
蛾眉(がび) 憔悴(しょうすい)して 胡沙(こさ)に没す
生きては黄金(おうごん)に乏(とぼ)しく 枉(ま)げて図画(ずが)せられ
死しては青塚(せいちょう)を留(とど)めて人をして嗟(なげ)かしむ

現代語訳

漢の時代。長安を照らした月。
その流れるような月の光は明妃(王昭君)を照らしていた。

ひとたび玉門関を越えて旅路につくと
生涯戻ってこられなかった。

漢の時代の月はまた東の海から上ってくるが、
明妃(王昭君)は西に嫁いで二度と戻って来る日は無かった。

燕支の山ははいつも寒く雪は花のように舞い散り、
美しい眉はやつれ果て、野蛮人のいる砂漠に没した。

生きていた時は似顔絵師に賄賂を贈らなかったため、事実をまげて醜く描かれ、
死んでは青塚(せいちょう)とよばれる墓だけをとどめて、人々を嘆かせている。

語句

■王昭君 中国前漢の元帝(在位BC48-BC33)の時代に後宮に勤めていた美女。楊貴妃、西施、貂蝉とともに中国四大美女の一人とされる。匈奴との外交のため匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。五言絶句の「王昭君」参照。 ■漢家 漢の王家。漢王朝。 ■秦地 長安。 ■流影 流れるような月光。 ■明妃 匈奴王の后となった王昭君。西晋の司馬昭にはばかって「昭」の字を避け、晋代には王明君、明妃などとした。 ■玉関 玉門関。 ■燕支 山の名。甘粛省永昌県の西。山丹県の東南。しばしば匈奴と漢の間で争われた。 ■蛾眉 女性の美しい眉。 ■胡沙 野蛮人の棲む砂漠。 ■生乏黄金枉図画 王昭君が似顔絵師・毛延寿に賄賂を贈らなかったため、事実を捻じ曲げて醜く描かれたこと。四世紀の小説『西京雑記(せいけいざっき)』による。 ■青塚 王昭君の墓。周囲には白草が多いが王昭君の墓の上だけ青草が茂っていることから名付けられた。

解説

五言絶句の「王昭君」と二首連作の第二首です。ひきつづき、匈奴の国に嫁した王昭君の悲劇を歌います。ここでは王昭君のことを明妃と読んでいますが、西晋の太祖(創始者)司馬昭にはばかって「昭」の字を避け、晋代には王明君(おうめいくん)、明妃(めいひ)などとしました。

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朗読:左大臣光永

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