李白「行路難」
昭和20年(1945年)8月14日、日本はポツダム宣言を受諾し、翌15日正午、昭和天皇による玉音放送で日本が無条件降伏したことが国民に伝えられ、第二次世界大戦が終結しました。日中戦争をふくむ戦没者は310万人と概算されています(資料によって差があります)。
昭和57年(1982)4月の閣議決定によって8月15日を「戦歿者を追悼し平和を祈念する日」とすることが定められました。
あらためて、今日ある日本は多くの尊い犠牲の上に成り立っている、軽いことじゃないのだなと思わされます。
美味しいパスタが食えるのも、漫画やゲームを楽しめるのも、当たり前なことじゃないのだと。
ふだんあまり考えませんが、今日ばかりは、考えるべき日だと思います。
本日は李白の詩「行路難」を読みます。
人生の困難を前に立ちすくむが、いつか必ずうまくいくことを信じている詩です。
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行路難 其一 李白
金樽清酒斗十千
玉盤珍羞値萬錢
停杯投箸不能食
拔劍四顧心茫然
欲渡黄河冰塞川
將登太行雪暗天
閑來垂釣碧渓上
忽復乘船夢日邊
行路難 行路難
多岐路 今安在
長風破浪會有時
直挂雲帆濟滄海行路難 其の一 李白
金樽(きんそん)の清酒(せいしゅ) 斗(と) 十千(じっせん)
玉盤(ぎょくばん)の珍羞(ちんしゅう) 値(あたひ) 萬錢(ばんせん)
杯(はい)を停(とど)め箸(はし)を投(とう)じて食(く)らふ能(あた)はず
剣(けん)を抜(ぬ)いて四顧(しこ)すれば 心(こころ) 茫然(ぼうぜん)たり
黄河(こうが)を渡(わた)らんとすれば 氷(こほり) 川(かわ)を塞(ふさ)ぎ
将(まさ)に太行(たいこう)登(のぼ)らんすとれば 雪(ゆき) 天(てん)に暗(くら)し
閑来(かんらい) 釣(つ)りを垂(た)る 碧渓(へきけい)の上(ほとり)
忽(たちま)ち復(ま)た 船(ふね)に乗(の)って 日辺(にっぺん)を夢(ゆめ)む
行路難(こうろなん) 行路難(こうろなん)
岐路(きろ)多(おほ)し 今(いま)安(いづ)くにか在(あ)る
長風(ちょうふう) 浪(なみ)を破る 会(かなら)ず時有(ときあ)り
直(ただ)ちに雲帆(うんぱん)を挂(か)け 滄海(そうかい)を済(わた)らん
現代語訳
立派な酒樽に、高価な酒が注がれ、
玉の皿には高価な珍しいごちそうが盛り付けられている
しかし私は盃をとめて箸を投げ捨てて、食らうことができない。
剣を抜いて四方を見回すと、心はぼんやりする。
黄河を渡ろうとすると氷が川を塞ぎ、
太行山に登ろうとすると雪が天を暗くしている
(そんなふうに私の人生には困難が立ち立ちふさがっている)
そこで暇にまかせて釣り糸を垂れる。水の青い谷のほとりで。
するとたちまち、また船に乗って、都に上ってみたいという夢がでてくる。
わが行く路は困難である。わが行く路は困難である。
別れ路は多く、今どこにいるのかさえわからなくなる。
だが今に、遠くから吹いてくる風が、波を破るだろう。その時は必ず来る。
ただちに雲に乗るような帆を上げて、青海原を渡ろう。
語句
■行路難 六朝時代の楽府題。 ■金樽 立派な酒樽。 ■斗十千 一斗(2リットル)十千(=一万銭)もする高価な酒。 ■玉盤 玉づくりの皿。 ■珍羞 めずらしいごちそう。 ■四顧 あたりを見回すこと。 ■呆然 ぼんやりすること。 ■太行 太行山。現在の河南・山西・河北の省境にある山。■閑來 ひまにまかせて。來は助字で意味はない。以下二句、世捨て人を気取っても、その一方で世に事をなしたい欲が残っていることをいう。 ■碧渓 水の青い谷。 ■日辺 太陽のそば。天子のそば=都のたとえ。 ■岐路 別れ道。 ■長風 万里の彼方から吹いてくる風。 ■破浪 不遇な状況が一変することのたとえ。 ■會 かならず。 ■雲帆 雲のように風に乗る帆。 ■滄海 青海原。
……
私は終盤の「會有時(必ず時あり)」が好きですね。人生には様々な困難があり、立ちふさがる障害があり、うまくいかないことだらけで、それに対して努力し、知恵を絞って創意工夫をすることは確かに大切なのだけれど、人事を尽くして天命を待つと言いましょうか、結局人間の力ではどうしようもないことがあり、じっと状況が変わることを信じて、こらえて待つしかない状況というものがあります。あたふたと取り乱したり、思いつめてしまうのではなく、いや必ずうまくいく。状況は変わるんだと、信じて待つことの大切さ。「會有時(必ず時あり)」身につまされるものがあります。