戴天山の道士を訪うて遇はず 李白
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訪戴天山道士不遇 李白
犬吠水聲中
桃花帶露濃
樹深時見鹿
溪午不聞鐘
野竹分青靄
飛泉掛碧峰
無人知所去
愁倚兩三松戴天山(たいてんざん)の道士(どうし)を訪(と)うて遇(あ)わず 李白
犬は吠(ほ)ゆ水声(すいせい)の中(うち)
桃花(とうか) 露(つゆ)を帯(お)びて濃(こまやか)なり
樹(き)は深く時に鹿を見 谷は午(ご)にして鐘を聞かず
野竹(やちく) 青霞(せいか)を分け 飛泉(ひせん) 碧峰(へきほう)に掛(か)かる
人の去る所を知るものなし 愁(うれ)へて寄(よ)る両三松(りょうさんしょう)
現代語訳
犬の吠えるのが川のせせらぎとまじりあって聞こえてくる。
桃の花は霞をはらんで、色が濃く見える。
樹木がうっそうと茂り、時に鹿の姿が見える。谷は真昼なのに、鐘の音も聞こえない。
野生の竹が青々とした霞を分けてそびえ、滝が青い峰にかかっている。
誰も私が訪ねてきた道士の行き先を知らない。
私はがっかりして、二三本の松の幹に寄りかかる。
語句
■載天山 李白の故郷の近くにある山。李白は載天山の大明寺の一角に間借りしていたことがある。 ■導士 道教の修行者。■犬 道士の飼い犬か ■水声 河のせせらぎ ■濃 たっぷりと露をはらんで色が濃い。■午 正午。お昼時 ■鐘 正午を告げる鐘の音。■野竹 野生の竹 ■青霞 山中にたちこめる霞・もや。 ■飛泉 滝 ■両三松 二三本の松。松は導士の館の脇によく植えてあったので、道士の象徴。
解説
有名なわりに李白の生涯には出生も含めて不明な部分が多いです。
隋の末に一家が罪を得て西域に移ったといい、李白の父は裕福な豪商だったとも言われています。李白が生まれたのは西域の現キルギス共和国トクマク付近とも蜀の隆昌県ともいわれ、李白の出生前後に一家は蜀へ移ってきました。
一説に、李白をみごもった時、母が夢を見ました。天からすーっと金星がおりてきて、ふところに入りました。金星のことを中国で「太白」といい、ここから「太白」と名付けられたといいます。
若き日の李白について、詳しいことはわかりません。詩に熱心な一方、剣術や道教に傾倒したといいます。また人を殺したこともあると言っていますが、ほんとうでしょうか。
この詩は、若き日の李白が故郷に近い載天山の一角に間借りしていた頃、山中に道教の道士を訪ねていったときのことを歌ったものです。
「載天山」は李白の故郷の近くにある山です。李白は載天山にある大明寺という寺に間借りして、勉強していたことがありました。ある日、李白は道教の道士を訪ねていこうと思い立ちます。
「道士」とは道教の修行者のことです。人生とは何かという問いをぶつけようとしたのか、飛行自在の術をさずかろうとしたのか…理由はわかりませんが。
うっそうとしげる樹木の間を、歩いていく李白。さらさらと小川が流れ、時々犬が吠えて、鹿の姿も見え、桃の花がしっとりと霞を帯びて、ますます色濃く見える…。
「すみません。このあたりに道士さまがおすまいとききましたが」
「んー?聞いたことねえなあ」
「さあねえ…」
誰も彼も道士の居場所は知りませんでした。はあとため息をついて松の木によりかかる青年李白。
若き日の李白の、みずみずしい感性が奥山の清らかな空気と交じり合って、つたわってきます。
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