金陵の鳳凰台に登る 李白

現代語訳

かつて金陵の鳳凰台の上には鳳凰が遊んだが、
鳳凰は去り、台ばかりが空しく残り、長江は変わらず流れている。
三国時代の呉の宮殿を彩った花や草は、人気の無い草深い小道に埋もれ、
東晋の時代の衣冠姿の華やかな貴族たちも、今や古びた丘の下の土くれとなっている。
金陵西南の三つの山は、半ば雲に隠れ、青い空の彼方から落ちかかるように見え、
ひとすじの長江が、中洲の白鷺洲で二つにわかれる。

いったい浮雲が太陽を覆い隠してしまうために、
長安が見えない。私は愁いに沈むのだ。

解説

李白が崔顥(さいこう)の「黄鶴楼(こうかくろう)」を意識して作ったといわれる詩です。李白は黄鶴楼を訪れた時、詩を作ろうと思ったが、崔顥の「黄鶴楼」のあまりの出来のよさに、これ以上のものは作れないと実感しました。そこで後日、金陵を訪れた時、舞台を変えて、崔顥の詩の形式を用いて、この「登金陵鳳凰臺」を作ったということです(あくまでも言い伝えですが)。

金陵は三国時代の呉をはじめ、南北朝の晋・宋・斉・梁・陳が都を置いていた場所であり、歴史ある街並みを李白はいたく気に入っていました。「鳳凰台」は金陵の西南の丘陵地にあった台。その西を長江が流れていました。南朝宋の時代、この地に珍しい鳥たちが飛び来たって遊んだので、これは鳳凰だろうということで鳳凰台と名付けらました。

「浮雲が太陽を覆い隠したため、長安が見えない」と言っていますが、浮雲の何も金陵から長安が見える距離ではないんですが、そういう話ではなくて、浮雲が太陽を覆う、というのは君主のそばにいるロクでもない側近が君主によからぬ入れ知恵をして、君主の判断をにぶらせるたとえです。

この頃李白は、宦官高力士の讒言を受け、玄宗皇帝の宮廷を追われていたので、そのことをふまえていると思われます。雄大な景色を詠みながら、単に景色に終わらず、みずからの心理的な部分を重ね合わせています。

崔顥(さいこう)の「黄鶴楼(こうかくろう)」 

では、李白が影響を受けた、崔顥(さいこう)の「黄鶴楼(こうかくろう)」も読んでみましょう。

黄鶴楼 崔顥
昔人已に乗黄鶴去
此地空餘黄鶴楼
黄鶴一去不復返
白雲千載空悠悠
晴川歴歴漢陽樹
芳草萋萋鸚鵡洲
日暮郷関何處是
煙波江上使人愁

黄鶴楼 崔顥
昔人(せきじん) 已(すで)に黄鶴(こうかく)に乗りて去り
此(こ)の地 空しく余す 黄鶴楼(こうかくろう)
黄鶴(こうかく) 一たび去って復(ま)た返らず
白雲(はくうん) 千載(せんざい) 空しく悠悠(ゆうゆう)
晴川歴歴(せいせんれきれき)たり 漢陽(かんよう)の樹(じゅ)
芳草萋萋(ほうそうせいせい)たり 鸚鵡洲(おうむしゅう)
日暮(じつぼ) 郷関(きょうかん) 何(いず)れの処(ところ)か是(ぜ)なる
煙波(えんぱ) 江上(こうじょう) 人をして愁(うれ)えしむ

伝説にある仙人はすでに黄色い鶴に乗って飛び去ってしまった。
この地にはただ黄鶴楼だけが空しく残っている。

あの黄色い鶴は飛び去ったきり、二度と戻ってはこない。
ただ白い雲が、千年を隔てた今もどこまでも遠く漂っている。

晴れ渡った長江の向こうには、漢陽の木々がハッキリと見える。
中州の鸚鵡洲にはかぐわしい春の草が生い茂っている。

日が暮れてきた。故郷はどっちの方向だろう。
川面を覆う靄が旅人の憂いをかきたてる。

【黄鶴楼】は湖北省にある長江を見下ろす楼台。
「江南三大名楼」の一つです。

昔この地に「辛氏」という居酒屋がありました。
ある日そこに仙人がやって来ます。

仙人は何ヶ月にもわたって泊まり、さんざん飲み食いします。
心配になってきた主人が問いただすと、「金は無い」と。

その代わりといって仙人は壁に黄色い鶴の絵を描き、
去っていきました。

ところがこの鶴の前で客が手拍子をすると、
壁に描かれた鶴が羽ばたくのです。
たちまち店は評判になり、主人は億万長者になりました。

十年ほど経ったある日、例の仙人がたずねてきて、
「もう借金は返し終わったろう」と、
壁の前で笛を吹きます。
すると壁から鶴が抜け出してきて、
仙人はそれに乗って飛び去った、ということです。

落語に「抜け雀」という似たような話がありますが、
関連があるのかもしれません。

李白が黄鶴楼を訪れた時詩を作ろうと思ったが、この崔顥の詩の前ではこれ以上のものはできないと諦め、後日、金陵(南京)を訪れた時、崔顥の詩に習って、「登金陵鳳皇臺(金陵の鳳凰台に登る」という詩を作ったという逸話が伝わっています。

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。

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登金陵鳳凰臺 李白
鳳凰臺上鳳凰遊
鳳去臺空江自流
呉宮花草埋幽徑
晉代衣冠成古丘
三山半落靑天外
二水中分白鷺洲
總爲浮雲能蔽日
長安不見使人愁

金陵(きんりょう)の鳳凰台(ほうおうだい)に登る 李白
鳳凰台上(ほうおうだいじょう) 鳳凰(ほうおう) 遊び
鳳(ほう)去り 台空(むな)しくして江(こう) 自(おのずか)ら流る
呉宮(ごきゅう)の花草(かそう)は幽径(ゆうけい)に埋(うず)もれ
晋代(しんだい)の衣冠(いかん)は古丘(こきゅう)と成る
三山(さんざん) 半ば落つ 青天(せいてん)の外(そと)
一水(いっすい) 中分(ちゅうぶん)す 白鷺洲(はろくしゅう)
総(すべ)て浮雲(ふうん)の能(よ)く日を蔽(おお)うが為に
長安見えず 人をして愁え使(し)む

▼音声が再生されます▼

金陵
金陵

現代語訳

かつて金陵の鳳凰台の上には鳳凰が遊んだが、
鳳凰は去り、台ばかりが空しく残り、長江は変わらず流れている。
三国時代の呉の宮殿を彩った花や草は、人気の無い草深い小道に埋もれ、
東晋時代の衣冠をまとった華やかな貴族たちも、今や古びた丘の下の土くれとなっている。
金陵西南の三つの山は、半ば雲に隠れ、青い空の彼方から落ちかかるように見え、
ひとすじの長江が、中洲の白鷺洲で二つにわかれる。

いったい浮雲が太陽を覆い隠してしまうために、
長安が見えない。私は愁いに沈むのだ。

語句

■金陵 現南京。東の郊外の紫金山(しきんさん)または鍾山(しょうざん)を金陵山とも言うことから。また楚の威王が、立ち上る王気を鎮めるために金を埋めたという故事から。三国時代、呉の孫権が都を置き建業と称した。南朝の晋・宋・斉・梁・陳は、皆ここを都とした。隋の代はすたれるが唐代に復活。 ■鳳凰台 金陵の西南の丘陵地にあった台。その西を長江が流れていた。南朝宋の時代、この地に珍しい鳥たちが飛び来たって遊んだので、これは鳳凰だろうということで鳳凰台と名付けた。 ■呉宮 呉の宮殿。三国時代、呉はここに都を置き、建業と称した。 ■幽径 草深い小道。 ■晋代衣冠 東晋の時代の、衣冠姿の貴族たち。東晋もこの地に都を置き、建康と称した。 ■三山 南京の西南25キロにある三つの山。 ■一水 ひとすじの長江の流れ。「二水」とするテキストもある。 ■白鷺洲 長江に秦淮河が流れ込むあたりにあった中洲の名。 ■浮雲蔽日 浮雲が太陽を覆い隠した。君側の佞臣が、君主の判断を誤られたというたとえ。この頃李白は、宦官高力士の讒言を受け、玄宗皇帝の宮廷を追われていた。

解説

李白が崔顥(さいこう)の「黄鶴楼(こうかくろう)」を意識して作ったといわれる詩です。李白は黄鶴楼を訪れた時、詩を作ろうと思ったが、崔顥の「黄鶴楼」のあまりの出来のよさに、これ以上のものは作れないと実感しました。そこで後日、金陵を訪れた時、舞台を変えて、崔顥の詩の形式を用いて、この「登金陵鳳凰臺」を作ったということです(あくまでも言い伝えですが)。

金陵は三国時代の呉をはじめ、南朝の晋・宋・斉・梁・陳が都を置いていた場所であり、歴史ある街並みを李白はいたく気に入っていました。「鳳凰台」は金陵の西南の丘陵地にあった台。その西を長江が流れていました。南朝宋の時代、この地に珍しい鳥たちが飛び来たって遊んだので、これは鳳凰だろうということで鳳凰台と名付けらました。

「浮雲が太陽を覆い隠したため、長安が見えない」と言っていますが、浮雲の何も金陵から長安が見える距離ではないんですが、そういう話ではなくて、浮雲が太陽を覆う、というのは君主のそばにいるロクでもない側近が君主によからぬ入れ知恵をして、君主の判断をにぶらせるたとえです。

この頃李白は、宦官高力士の讒言を受け、玄宗皇帝の宮廷を追われていたので、そのことをふまえていると思われます。雄大な景色を詠みながら、単に景色に終わらず、みずからの心理的な部分を重ね合わせています。

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