白楽天「王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す」

本日は白楽天の詩「王十八の山に帰るを送り仙遊寺に寄題す」を読み、解説します。

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送王十八帰山寄題仙遊寺 白楽天

曾於太白峰前住
数到仙遊寺裏来
黒水澄時潭底出
白雲破処洞門開
林間煖酒焼紅葉
石上題詩掃緑苔
惆悵旧遊無復到
菊花時節羨君廻

王十八(おうじゅうはち)の山に帰るを送り仙遊寺(せんゆうじ)に寄題(きだい)す 白楽天

曾(かつ)て太白峰前(たいはくほうぜん)に住み
数(しば)しば仙遊寺裏(せんゆうじり)に到(いた)りて来(きた)る
黒水(こくすい)澄(す)む時(とき) 潭底(たんてい)出(い)で
白雲(はくうん) 破(やぶ)るる処(ところ) 洞門(とうもん)開く
林間(りんかん)に酒(さけ)を煖(あたた)めて紅葉(こうよう)を焼(た)き
石上(せきじょう)に詩(し)を題(だい)して緑苔(りょくたい)を掃(はら)う
惆悵(ちゅうちょう)す 旧遊(きゅうゆう) 復(ま)た到(いた)ることなき
菊花(きくか)の時節(じつ) 君(きみ)が廻(かえ)るを羨(うらや)む

現代語訳

王十八(王氏の十八男であるわが友人・王質夫)が山に帰るのを送って仙遊寺(長安南西80キロの寺)に寄題(その場に行かずにイメージで詩を作ること)した詩

かつて私は太白峰(長安南40キロの終南山)の前に住み、
しばしば仙遊寺(長安南西80キロにある寺)の裏までやってきた。
黒水(仙遊寺の西を流れる川)が澄んでいる時は、淵の底まで見えて、
白雲が途切れたところに洞窟の入口が口を開けていた。
林の中で紅葉をたいて酒を熱燗にしたり、
石の上に緑の苔をはらって、詩を書いたりした。
私は嘆き悲しむ。昔遊んだあの地に、ふたたび行けないことを。
菊の花の時節、君がそこに帰っていくのをうらやむ。

語句

■王十八 白楽天の友人、王質夫。十八は王氏の十八番目の子であることをしめす排行。 ■仙遊寺 長安西南約80キロにある寺。白楽天はこの地の県尉であったころよく訪れ「長恨歌」を作った。 ■寄題 その場所に行ったり実物を見ることなくイメージで詩を作ること。 ■太白峰 長安南約40キロの秦嶺山脈の峰の名。終南山。 ■黒水 仙遊寺の西を流れる川。 ■潭底 淵の底。 ■洞門 洞窟の入り口という説と、仙遊寺の山門を洞窟に見立てたという説。 ■惆悵 愁い悲しむこと。 ■旧遊 昔やった遊び。

解説

白楽天がかつて終南山(長安南40キロ)あたりに住んでいた頃、友人の王質夫(おうしつふ)らとしばしば仙遊寺(長安南西80キロ)まで足をのばして遊んだのです。その後、楽天は長安に召され、その前後に王質夫も長安に召されたようです。ところが王質夫は、なんらかの理由で失脚したらしく、ふたたび故郷に戻ることになりました。それを見送って白楽天が詠んだ詩です。ともに遊んだ日々を懐かしく歌っています。

「林間暖酒燒紅葉、石上題詩掃綠苔」の対句は有名で、『平家物語』「紅葉」に引用されています。

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