安禄山の猛攻と唐の反撃

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洛陽陥落

「進め!進めーーッ!!」

ガラガラガラガラ…

河北の平原を、安禄山軍15万が
南下していきます。

安禄山軍、河北を南下
【安禄山軍、河北を南下】

なにしろ節度使は国外の異民族に対して
設置された国境警備隊です。

本来、自国民の生活を外敵から
守ってくれるはずのものです。

その、本来守ってくれるはずの
国境警備隊が、国内に向けて刃を向けてきたのです。
誰も、こんなことは想像さえできませんでした。

安禄山軍は無人の荒野を行くがごとき快進撃を続けます。

実戦にたけた安禄山軍の前に、
唐軍20万は散々に蹴散らされ、
まったく役に立ちませんでした。

安禄山軍は途中の町々を陥落させ、守備隊長を処刑し、
略奪を繰り返しながら南下していきます。

12月、安禄山軍15万は黄河を渡り、
洛陽の町中になだれこみます。

安禄山軍、洛陽へ
【安禄山軍、洛陽へ】

「あっけない…なんと脆いのだ」

安禄山軍は洛陽で年を越し、
翌756年元旦、安禄山は広場に集まった洛陽の市民を前に、
言い放ちます。

「聞けーーい!
唐王朝140年の歴史は終わった。
新たな歴史は、ここ洛陽より始まる。
朕こそは大燕皇帝!
そして年号を聖武とさだめる」

「大燕皇帝…?」
「聖武…?」
「いったい俺たち、どうなっちゃうんだ…」

潼関の戦い

大将軍高仙芝(こうせんし)・封常清(ほう じょせい)は、
ほうほうのていで長安の東120キロの潼関まで撤退してきます。

潼関
【潼関】

玄宗皇帝は激怒しました。

「洛陽を落とされ…
むざむざ撤退してくるとは!
その罪、万死に値する!!」

大将軍高仙芝(こうせんし)・封常清(ほう じょせい)は、
潼関に戻ると早々に処刑されます。潼関は長安の手前、
最後の守りです。

しかし大将軍が処刑され、
目下トップを欠く状態となりました。

「次の大将はいつ赴任するんだろう」
「イヤな奴じゃなきゃいいけどなあ」

新しく赴任した将軍を見て、
兵士たちは驚きました。えらくやつれた、
おじいさんです。ケホケホと、
力ない咳をもらしていました。

哥舒翰(かじょかん ?-757)。

安禄山と同じく突厥の出身ですが、
常日頃から安禄山とは仲が悪いことで知られていました。
そのため、今回抜擢されたのですが、
体が弱く、玄宗皇帝に何度も辞退を願い出ていました。

(これゃダメだ…)

低下する士気。

そこへ、宰相楊国忠から出撃をうながす書状が届きます。

「いつまで潼関に留まっているおつもりか。
すぐさま洛陽を奪回し、貴君の職務をまっとうせよ。」

「くぬう…青二才の楊国忠めが。
口だけなら何とでも言える。自分がやってみろ!」

哥舒翰はしぶしぶ出撃しますが、安禄山配下の武将・
崔乾祐(さいけんゆう)の伏兵にあたり、散々に破られ、
生け捕りにされます。

後に唐軍が洛陽を奪還した際、哥舒翰は
安禄山の息子安慶緒によって殺されました。

顔杲卿(がんこうけい)による反撃

洛陽をやすやすと手に入れた安禄山でしたが、
思わぬ方面から反撃を食らいます。

河北の中央部、幽州から洛陽への通路の
中間に常山という交通の要所があります。

常山
【常山】

『三国志』の武将、趙雲子龍の出身地として
有名ですね。

ここ常山群の太守、顔杲卿(がんこうけい)が
反乱軍に対し立ち上がります。

顔杲卿は安禄山によって太守に取り立てられていましたが、
ひそかに反撃の機会をうかがい、安禄山が配置していた
土門の守備隊長を殺害します。

河北地方における安禄山軍への
最初の抵抗でした。

しかし顔杲卿は唐軍と連携が取れず、
かけつけた安禄山の腹心、史思明によって20日足らずで破られます。

顔杲卿は洛陽に護送され、安禄山の前に引っ立てられます。

「お前を太守に取り立てたのは朕だぞ。
この恩知らずがッ」

しかし顔杲卿は言い返しました。

「野蛮人の分際でなにが「朕」か。
天子の恩寵を受けながら謀反を企てるとは、
身の程知らずとはお前のことよ」

屈辱に、真っ青になる安禄山。

「その、よく回る舌を、
引き抜いてしまえ!!」

顔杲卿は広場に引っ立てられ、舌をズバーッと引き抜かれ、
ドスン、ドスン、ドスン、手足をナタで切断され、
血が流れるままに放置され、殺されました。

そして河北の諸地域は、
安禄山軍によって奪い返されます。

顔真卿(がんしんけい)による反撃

「うおおおぉぉぉぉーーーーーっ
兄弟よ!!このカタキは、必ず、
必ずーーーッ!!」

平原郡の太守顔真卿(がんしんけい)は、
顔杲卿の従兄弟で、今日、能書家としても有名です。

平原
【平原】

王義之以来の優雅で繊細な筆運びに対して、
骨太でドッシリした筆運びに特徴があります。

顔杲卿が処刑された後、顔真卿は河北の反安禄山勢力の
中心として、安禄山軍と戦っていくことになります。

処刑された従兄弟の顔杲卿とその一族をいたんで書いた
「祭姪文稿(さいてつぶんこう)」は
中国史上屈指の名文といわれます。

玄宗皇帝 逃げ出す

「すぐに帝都を離れる。
準備せよ」

長安最後の守り・潼関が破られた報告が届くと、
玄宗皇帝は楊貴妃とその一族とわずかな護衛をひきつれて、
お輿に乗って長安を脱出します。

はるか西の蜀の都・成都を目指すのです。

玄宗、成都へ
【玄宗、成都へ】

途中、長安の西70キロ馬嵬駅で、
兵士たちの疲労と餓えは限界に達しました。

馬嵬駅
【馬嵬】

「もういやです!これ以上は進みません。
こんなことになったのは、すべて楊国忠と
楊貴妃のせいではないですか。
楊国忠と楊貴妃を始末しないことには、
われわれは一歩も動きません」

口々にののしる兵士たち。

「う…ううう…」

お輿の中で玄宗皇帝は真っ青になり、
帝王の威厳はまったくありませんでした。

たまたま楊国忠が異国人と会話していた所へ
兵士たちが見つけ、

「見ろ!楊国忠が異国人と反乱をくわだてているぞ!」
「反逆者楊国忠、討つべし!!」

「う、うひいい」

話もきかず、兵士たちは楊国忠をズダズダに切り裂き、
その首を槍の先に捧げました。

楊貴妃の最期

「あ…ああ…国忠が殺された…。
国忠が殺された…」

玄宗皇帝は楊貴妃を抱きしめ、ぶるぶると震えていました。

「楊貴妃を殺せ!」
「楊貴妃を殺せ!」

外では兵士たちの大合唱が起こっていました。

「陛下、陛下。お助けください」

真っ青になって震える楊貴妃。

「楊貴妃を殺せ!!」
「楊貴妃を殺せ!!」

外では兵士たちの大合唱が大きくなっていきます。

玄宗皇帝は御簾をかきあげ、

「高力士、高力士はおるか」

宦官の高力士を呼び寄せます。

「ははっ。陛下、高力士はここに」

「こうなっては仕方が無い。
心苦しい限りだが…」

「貴妃を殺せ」

高力士は楊貴妃の細い腕をガシとつかみ、

「いやああああああ」

泣き叫ぶ楊貴妃に構いもせず引っ張っていき、
近くの仏堂の中で刺し殺しました。

粛宗の即位 そして…

成都に逃亡した玄宗にかわって留まった皇太子李亨(りこう)が、
唐軍の指揮を執ることになりました。

李亨は長安に戻ろうとするもはたせず、
遠く北方へ向い、霊武にて粛宗として即位します。

霊武
【霊武】

この年粛宗46歳。

帝位継承の証である伝国の玉璽無しの
即位でした。しかも粛宗は玄宗の三男であり、
嫡男ではありません。

一種のクーデターです。

しかし成都にいる父玄宗には使いを出し、
事後承認という形で即位を認めさせました。

バカラッ、バカラッ、バカラッ、バカラッ

粛宗が霊武で即位したと聞いて、
長安から霊武へ馬を飛ばす男の姿がありました。

「今こそ、国家の、一大事!
陛下、お力添えさせてくだされーーッ!!」

男は家族を長安郊外に疎開させ、
後顧の憂いを断ち切ってから、粛宗のもとを目指していました。

杜甫。
字は子美。

後に大詩人として中国史上に名を残す人物です。

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