「歳月人を待たず」(「雑詩」) 陶淵明

「雑詩」とは、「その時々の気持ちをとりとめもなく書きつづった詩」という意味です。

陶淵明の「雑詩」は其一から其十二まであり、特に其一の「歳月人を待たず」という言葉が有名です。

其一から其十ニまではバラバラの作品ですが、全体を通してみると、おぼろげながら統一したテーマが浮かび上がって見えるようです。

本日は其一から其六まで、読み、解釈します。

雜詩 陶淵明

其一

人生無根蒂
飄如陌上塵
分散逐風轉
此已非常身
落地爲兄弟
何必骨肉親
得歡當作樂
斗酒聚比鄰
盛年不重來
一日難再晨
及時當勉勵
歳月不待人

人生《じんせい》は根蒂《こんてい》無く
飄《ひょう》として陌上《はくじょう》の塵《ちり》の如《ごと》し
分散《ぶんさん》し風を逐《お》いて転《てん》ず
此《こ》れ已《すで》に常《つね》の身に非《あら》ず
地に落ちて兄弟《けいてい》と為《な》る
何ぞ必ずしも骨肉《こつにく》の親《しん》のみならん
歓《かん》を得《え》ては当《まさ》に楽しみを作《な》すべし
斗酒《としゅ》 比隣《ひりん》を聚《あつ》む
盛年《せいねん》 重ねて来たらず
一日《いちじつ》 再び晨《あした》なり難《がた》し
時に及んで当《まさ》に勉励《べんれい》すべし
歳月《さいげつ》は人を待たず

人生には木の根や果実のヘタのような、
しっかりした拠り所が無い。

まるであてもなく舞い上がる
路上の塵のようなものだ。

風のまにまに吹き散らされて、
もとの身を保つこともおぼつかない。

そんな人生だ。みんな兄弟のようなもの。
骨肉にのみこだわる必要はないのだ。

嬉しい時は大いに楽しみ騒ごう。
酒をたっぷり用意して、近所の仲間と飲みまくるのだ。

血気盛んな時期は、二度とは戻ってこないのだぞ。
一日に二度目の朝はないのだ。

楽しめる時はトコトン楽しもう!
歳月は人を待ってはくれないのだから!!

■根蒂 こんてい。木の根や果実のヘタ。つなぎとめておくもの。 ■飄 風に吹き飛ばされる感じ。 ■陌上 路上。 ■分散 散り分かれること。 ■逐風轉風に乗って吹き散らかされること。 ■此已非常身 もはや元の形をとどめていない。 ■落地爲兄弟 この世に生まれ落ちたものは、みな兄弟みたいなもの。 ■何必骨肉親 何は「どうして~だろうか」反語。どうして血を分けた肉親にのみこだわる必要があろうか。 ■得歡當作樂 當は当然。嬉しいことがあれば楽しみまくるべきだ。当然のことだ。 ■斗酒 一斗の酒。「大量の酒」というほどの意味。杜甫「飲中八仙歌(李白一斗詩百篇)」参照。■聚 集める。■比鄰 隣近所。 ■盛年 若い時。青春。 ■晨 朝。陶淵明「帰去来の辞」に「恨晨光之熹微」。 ■及時 ちょうどよい時に。 ■勉勵 楽しみまくること。

其ニ

白日淪西阿
素月出東嶺
遙遙萬里輝
蕩蕩空中景
風來入房戸
夜中枕席冷
氣變悟時易
不眠知夕永
欲言無予和
揮杯勸孤影
日月擲人去
有志不獲騁
念此懷悲悽
終曉不能靜

白日 西阿《せいあ》に淪《しず》み
素月《そげつ》 東嶺《とうれい》に出づ
遙遙として萬里に輝き
蕩蕩《とうとう》たり空中の景《けい》
風来たって房戸《ぼうこ》に入り
夜中《やちゅう》 枕席《ちんせき》冷ゆ
気変じて時の易《かわ》れるを悟り
眠らずして夕《ゆうべ》の永きを知る
言はんと欲するも予《われ》に和するもの無く
杯《さかずき》を揮《ふる》って孤影《こえい》に勧む
日月《じつげつ》は人を擲《す》てて去り
志《こころざし》有るも騁《は》するを獲ず
此《これ》を念《おも》ひて悲悽《ひせい》を懐き
曉《あかつき》を終うるまで静まる能《あた》はず

太陽は西の山に沈んで
白い月が東の嶺に出る。

はるか万里の先まで輝き、
夜空いっぱいにあふれんばかりだ。

風が部屋に吹き込んできて
夜が更けると夜具が冷ややかだ。

空気の流れが変わって季節の移ったことが知られ、
私は眠れずに夜の長いことを実感する。

思いを述べようとしても私の相手をしてくれる者はなく、
盃をふるっては自分と自分の影にすすめる。

月日は人を捨てて去り、
志はあってもそれを存分に馳せることができない。

これを思って悲しい気持ちを懐き、
朝が来るまで思いを鎮めることができない。

其三

榮華難久居
盛衰不可量
昔爲三春苣
今作秋蓮房
嚴霜結野草
枯悴未遽央
日月還復周
我去不再陽
眷眷往昔時
憶此斷人腸

栄華 久しく居り難く
盛衰 量るべからず
昔は三春の苣《はす》たるも
今は秋の蓮房《れんぼう》となれり
厳霜《げんそう》 野草《やそう》に結び
枯悴《こすい》して未遽《いま》だ央《つ》きず
日月《じつげつ》 還《めぐ》り復《ま》た周《めぐ》るも
我去らば再びは陽ならず
眷眷《けんけん》たり往昔《おうせき》の時
此を憶《思》えば人の腸《ちょう》を断たしむ

華やかな栄光の中に長居することは難しく、
人生の浮き沈みは予測することができない。

昔は春の蓮の花のように三月もの間花開いていたが、
今は秋の蓮の房のように実を結んでしまった。

凍てつく霜が野草の上に結晶し、
草木は枯れてかろうじてしおれずにいる。

月日はめぐりめぐっても、
我が身が死んでしまえばもう蘇ることはできないのだ。

過ぎ去った昔がさまざまに思い出される。
これを思えば腸が絶たれるようだ。

其四

丈夫志四海
我願不知老
親戚共一處
子孫還相保
觴弦肆朝日
樽中酒不燥
緩帶盡歡娯
起晩眠常早
孰若當世士
冰炭滿懷抱
百年歸邱壟
用此空名道

丈夫《じょうぶ》は四海《しかい》を志すも
我は願ふ 老を知らず
親戚 共に處を一にし
子孫 還た相ひ保ち
觴と弦とを朝日《ちょうじつ》に肆《なら》べ
樽中《そんちゅう》 酒燥かず
帯を緩めて歓娯《かんご》を盡くし
起くるは晩《おそ》く眠るは常に早からんことを
孰若《いづれ》ぞや 当世《とうせい》の士の
氷炭《ひょうたん》 懐抱《かいほう》に満ち
百年邱壟《きゅうろう》に帰し
此の空名《くうめい》を用《も》って道びかるるに

男児たるもの、天下にくりだすことを願うのだろうが、

わが願いはこうだ。

老いを知らず、
親戚が一緒にすみ、
子孫が続き、
朝から盃と楽器を並べ、
樽の中に酒が乾くことなく、
帯をゆるめて楽しみ喜びを尽くし、
起きるのは遅く、寝るのは早いこと。

どっちがまともだろうか。
世俗の士は、氷と炭のような矛盾した欲望に満ちて、
百年の人生を墓におさまるまで、
虚しい名に引かれて生きていくのだが。

其五

憶我少壯時
無樂自欣豫
猛志逸四海
騫翼思遠飛
荏苒歳月頽
此心稍已去
値歡無復娯
毎毎多憂慮
氣力漸衰損
轉覺日不如
壑舟無須臾
引我不得住
前塗當幾許
未知止泊處
古人惜寸陰
念此使人懼

憶ふ 我少壮の時
楽しみ無くも自づから欣豫《たの》しめり
猛志《もうし》 四海に逸せ
翼を騫《あ》げて遠く飛ばんと思へり
荏苒《じんぜん》として歳月頽《くず》れ
此の心 稍《や》や已に去れり。
歓に値《あ》ふも復た娯しみ無く
毎毎《つねづね》 憂慮多し
気力 漸《ようや》く衰損《すいそん》し
転《うた》た覚ゆ 日びに如かざるを
壑舟《がくしゅう》 須臾《しゅゆ》無く
我を引きて住《とど》まるを得ざらしむ
前塗《ぜんと》 当《まさ》に幾許《いくばく》ぞ
未だ止泊《しはく》する處《ところ》を知らず
古人は寸陰《すんいん》を惜しめり
此を念《おも》へば人をして懼《おそ》れしむ

考えてみれば私は若い頃、
楽しみ事が無くても自ら楽しんでいた。

盛んなる志を天下に馳せ、
翼を揚げて遠く飛ぼうと夢想していた。

歳月はしだいに流れ去り、
こうした心はほとんど消え去ってしまった。

楽しみ事にあっても楽しみなく、
いつも思い悩みが多い。

気力はしだいに衰え、
つくづく思う。私は日毎に劣っていくと。

時の流れの速いことは少しも待ってくれない。
私を引いて、とどまることを知らない。

これから先、どれほどの時間が残ってるだろう。
休める場所はどこにあるのか。

昔の人はわずかな時間でも惜しんだ。
これを思えば人は恐れざるをえない。

■荏苒 じんぜん。歳月が無為に過ぎ去っていくさま。 ■壑舟 谷川をゆく舟。時の流れの速さをたとえる。 ■須臾 しばらくの間。

其六

昔聞長者言
掩耳毎不喜
奈何五十年
忽已親此事
求我盛年歡
一毫無復意
去去轉欲遠
此生豈再値
傾家持作樂
竟此歳月駛
有子不留金
何用身後置

昔 長者の言を聞けば
耳を掩《おお》うて毎《つね》に喜ばず
奈何《いかん》ぞ五十年
忽《たちま》ち已《すで》に此の事を親《みづから》せんとは
我が盛年の歓を求ること
一毫《いちごう》も復《ま》た意無し
去り去りて転《うた》た遠くならんと欲す
此の生 豈《あ》に再び値《あ》はんや
家を傾けて持って楽しみを作《な》し
此の歳月の駛《は》するを竟《お》へん
子有るも金を留めず
何ぞ用ひん 身後《しんご》の置《はからひ》を

昔、年長者の説教を聞けば、
耳をおおって、きまって不愉快になった。

何たることだ。五十年経って、
同じような説教を自らやっているとは。

若い時代の楽しみをもう一度求めようなどは
少しも思わないが、

時はひたすら遠く過ぎ去っていく。
この人生は二度目はないのだ。

だから家を傾けて楽しみの限りを尽くし、
この歳月が駆け去っていく、その最後まで過ごそう。

子があっても財産などは残すまい。
どうして死後のことまで心配する必要があろうか。

次回に続きます。

朗読:左大臣光永

■【中国語つき】漢詩の朗読を聴く
■【古典・歴史】メールマガジン
【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル