出塞 王昌齢(しゅっさい おうしょうれい)

辺塞詩(辺境警備にあたる兵士たちの気持ちを歌った詩)の名作、王昌齢の「出塞」です。

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秦時明月漢時関
万里長征人未還
但使龍城飛将在
不教故馬度陰山

秦時《しんじ》の明月《めいげつ》 漢時《かんじ》の関《かん》
万里長征《ばんりちょうせい》して人いまだ還《かえ》らず
但《た》だ龍城《りゅうじょう》の飛将《ひしょう》をして在《あ》らしめば
故馬《こば》をして陰山《いんざん》を度(わたら)しめじ

現代語訳

明月は秦の時代と同じ明るさで辺りを照らし、
城砦は漢の時代と変わらぬ姿でそびえている。

こうして地の果てまで遠征してきたが、
いまだに戻ることができない。

漢の時代、「飛将」と呼ばれて
匈奴の本拠地・龍城をついた李広のような人物が
もし今現れてくれさえすれば…

夷敵の馬を陰山をわたしてわが国の領土に
入れたりなどしないだろうに。

語句

■出塞 楽譜題。このお題で詩をつくるもの。「従軍行」とするものも。 ■秦時明月漢時関 秦の時代も輝いていた名月や、漢の時代もあった関。今は唐の時代。■人未還 「人」は出征した兵士。その兵士の立場で歌っていると解釈したが、兵士の妻が遠く離れた所にいる夫を思いやっているという解釈もできる。 ■但使 ただ~でさえあれば。 ■龍城 砂漠の中にあった匈奴の根拠地。陥落させたのは衛青だが、この詩では李広ということになっている。現在の内蒙古自治区内。 ■龍城飛将 漢の時代に匈奴を攻撃した将軍・李広。 ■故馬 夷敵(野蛮人)の馬。 ■陰山 崑崙山から北へのびる山脈。

解説

「秦時明月漢時関」の第一句がとても有名です。今は唐の時代です。しかし名月は秦の時代とかわらぬ明るさで輝き、城塞は漢の時代とかわらぬ姿でたたずんでいると。

漢の時代に匈奴をけちらして飛将軍と敵からおそれられた、李広のような将軍が今いてくれたら…敵をわが国の領土には入れないのに。

逆にいえば、現在=唐の時代はそれほどの強い将軍がおらず、国境を侵略されまくりだということを嘆いているわけです。

現在の中国共産党がモンゴルやウイグルで行っている蛮行を思うと、この詩も手放しで「しみじみするなあ」などとは言えない気がしますが。

作者、王昌齡(698-755)字は少伯。盛唐期の詩人。閨怨の情(夫と離れている妻の気持ち)を歌った七言絶句を得意としました。

一方辺境の兵士の気持ちを歌った辺塞詩や送別詩にもすぐれたものが多く、中にもこの「出塞」は代表とされます。

李広は漢の時代の武将。敵の匈奴を壊滅させ、敵から「飛将軍」と恐れられましたが、最期は戦功を認められず自刃しました。

子孫に、李陵がいます。中島敦の小説『李陵』に主人公として描かれた人物です。

王昌齢の詩は「芙蓉楼にて辛斬を送る」が「一片の氷心 玉壷に在り」の文句でよく知られています。

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朗読:左大臣光永