鐘山即事(鍾山即時) 王安石(しょうざんそくじ おうあんせき)

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鐘山即事 王安石
澗水無声繞竹流
竹西花草弄春柔
茅簷相對坐終日
一鳥不啼山更幽

鐘山即事(しょうざんそくじ) 王安石(おうあんせき)
澗水(かんすい)聲(こえ)無く 竹を繞(めぐ)って流れ
竹西(ちくせい)の花草(かそう) 春柔(しゅんじゅう)を弄(ろう)す
茅簷(ぼうえん)相対(あいたい)して 坐(ざ)すること終日(しゅうじつ)
一鳥(いっちょう)啼(な)かず 山更(やまさら)に幽(ゆう)なり

現代語訳

谷川の水は音も無く竹林をめぐって流れ、
竹林の西には草花が春の柔らかな日差しの中、ゆれている。

茅葺きの庵で鍾山と向かい合って一日中座っていると、
鳥の鳴き声一つせず、山はいよいよ静まり返っている。

語句

■鐘山(鍾山)、南京の東側にある紫金山の旧名。 ■澗水 谷川の水。 ■無声 音を立てない様子。 ■繞竹 竹林をめぐって(水が)流れている様子。 ■竹西 竹林の西。 ■弄 ゆれること。 ■春柔 春の柔らかな陽気。 ■茅簷 茅葺の軒または庵。 ■更 いよいよ。いっそう。  ■幽 静か。

解説

一鳥啼かず 山更に幽なり」の結句がとても有名です。

山中の庵で隠居生活を歌った詩ですが、背景にはのっぴきならない事情があります。

王安石(1021-86)。字は介甫(かいほ)。号は半山。撫州臨川(江西省撫州市)の人。北宋最大の政治化・思想家・文学者。

22歳で科挙に合格、中央政界でバリバリ活躍することもできたはずが、家族を養うために見入りのいい地方官の職に就き、そこで着実にキャリアを積んでいきました。

1058年、「万言書」と呼ばれる政治改革を訴える建白書を皇帝仁宗に奏上します。これが次の皇帝、神宗の目にとまり、王安石は「幹林学士」(宰相)の職に抜擢されます。

王安石はそこで「新法」の名で後世有名になる改革を断行します。これは「富裕層にキツく、貧困層に優しい」ものでした。

当然富裕層の反感を買います。反対派の主力は司馬光。やがて王安石の後ろ盾だった神宗が崩御すると、新法党、旧法党のあらそいは激化します。

とうとう王安石は政界を追われ、南京に隠棲しました。

「鐘山即事(鍾山即時)」はその隠居生活の中で出来た作品です。

私の母校、学習院大学の構内に「一鳥啼かず 山更に幽なり」の碑があったので、この詩には親しみがわきます。

ほかに山中の隠居生活を歌った詩は≫≫
王維「竹里館」李白「山中問答」李白「獨り敬亭山に坐す」良寛「半夜」

次の漢詩「夜直

朗読:左大臣光永

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