鹿柴 王維(ろくさい おうい)
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鹿柴 王維
空山不見人
但聞人語響
返景入深林
復照青苔上
鹿柴(ろくさい) 王維
空山(くうざん)人を見ず、
但(た)だ人語(じんご)の響くを聞くのみ。
返景(へんけい)深林(しんりん)に入り、
復(ま)た照(て)らす青苔(せいたい)の上。
現代語訳
ひっそりした山には人っ子ひとりいない。
ただ人の声だけは聞こえてくる。
夕陽の光が深い林の中に差し込んできて、
また青い苔の上を照らしている。
語句
■鹿柴 鹿を囲うための柴の柵。 ■空山 ひっそりした山。 ■人語 人の声。 ■返景 夕陽の光。 ■青苔 青い苔。
解説
山中の静けさを描いて古来親しまれてきた詩です。
「竹里館」と同じく、王維が長安の東南、秦嶺山脈のふところの藍田(らんでん)県に所有していた広大な別荘、「モウセン荘」を詠んだ連作のうちの一つです。
「竹里館」「元二の安西に使するを送る」「九月九日山東の兄弟を憶う」と並んで王維の代表作といっていいでしょう。
王維(?~761)盛唐の詩人。字は摩詰。「画中に詩あり詩中に画あり」と北宋の蘇軾に評されました。南画の祖でもあり、そのせいかイメージが浮かびやすい詩が多いと思います。
熱心な仏教徒としてもしられ「詩仏」と呼ばれます。李白の「詩仙」、杜甫の「詩聖」に対応した言い方です。三人の人物像の違いをよくあらわしていると思います。
全く音が無いのではなく、かすかな音があるからこそ余計静けさが強調される。この趣向は松尾芭蕉の「閑さや岩にしみ入る蝉の声」にも通じます。(『奥の細道』「立石寺」←こちらで朗読しています)。
北原白秋には「王維の雪景」と題する詩があります。
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