王昭君 李白(おうしょうくん りはく)

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王昭君 李白
昭君払玉鞍
上馬啼紅頬
今日漢宮人
明朝胡地妾

王昭君(おうしょうくん) 李白
昭君(しょうくん)、玉鞍(ぎょくあん)を払い、
馬に上(のぼ)って紅頬(こうきょう)に泣く。
今日(こんにち) 漢宮(かんきゅう)の人、
明朝(みょうちょう) 胡地(こち)の妾(しょう)。

現代語訳

王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。

今日は漢の王宮の人なのに、
明日の朝には匈奴の妾となってしまうのだ。

語句

■玉鞍 「玉」はヒスイなどの高価な石。そういうもので作られた鞍。 ■紅頬 赤い頬。 ■漢宮人 漢の王宮の人。 ■胡地 異民族がすむ地域。 ■妾 めかけ。

王昭君の悲劇 解説

漢王朝は創設以来、北方の遊牧騎馬民族国家・匈奴とたびたび衝突を繰り返していましたが、武帝・宣帝の時代を経て、匈奴と漢は歩み寄るようになります。

匈奴王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)は、漢王朝との結びつきを強めようと、時の皇帝・元帝に政略結婚を持ちかけます。

私は漢民族の婿となりたい。そのため、後宮の女を下してほしいのですと。元帝は匈奴と漢の歩み寄りのため、この話を呑みます。しかし一説には…いったん承知した後で、惜しくなってきたようです。

後宮には数え切れないほどの美女がいましたが、多すぎて直に顔を確認できないので、似顔絵を見て、その中から夜毎のお相手を選んでいました。

そこで女性たちは少しでも美女に描いてもらおうと似顔絵師に賄賂を贈ります。その中に王昭君は自分の美貌に絶対の自信があり、賄賂を贈りませんでした。怒った似顔絵師は、王昭君の顔をひどく醜く描きます。

この似顔絵が元帝の目にとまります。これならくれてやっても惜しくない。そう思った元帝は、王昭君を匈奴に送ることにしました。

出発の際、はじめて王将君を見た元帝は、その美しさに驚きます。しかし今更断るのは外交問題になると、泣く泣く王昭君を送り出したとされます。

李白の詩『王昭君』は、五言絶句と古詩の二首かなる、連作です。

王昭君の墓「青塚」のことは、杜甫の「詠懐古跡 其三」にも印象的に歌われています。

詠懐古跡 其三 杜甫
郡山万壑赴荊門
生長明妃尚有村
一去紫台連朔漠
独留青塚向黄昏
画図省識春風面
環佩空帰月夜魂
千載琵琶作胡語
分明怨恨曲中論

詠懐古跡 其三 杜甫
郡山(ぐんざん) 万壑(ばんがく) 荊門(けいもん)に赴(おもむ)く
明妃(めいひ)を生長(せいちょう)して尚(な)お村有り
一(ひと)たび紫台(しだい)を去れば朔漠(さくばく)連(つらな)る
独(ひと)り青塚(せいちょう)を留めて黄昏(こうこん)に向う
画図(がと)に省(かつ)て識(し)らる 春風(しゅんぷう)の面(おもて)
環佩(かんぱい) 空しく帰る 月夜(げつや)の魂(たましい)
千載(せんざい) 琵琶は胡語(こご)を作(かた)りて
分明(ふんめい)に怨恨(えんこん)を曲中に論ず

山々、谷々は荊門山になだれこんでいく。
このあたりに、王昭君が成長した村が今も残っている。
ひとたび漢の王宮を去れば、どこまでも砂漠が続く。
ただ青塚と呼ばれる墓だけが、夕暮れの光を前にして残っている。

似顔絵師が故意に醜く描いたその似顔絵によってのみ、
王昭君の美しい顔は皇帝に知られたのであり、
環佩(女性の装身具)を揺らして、
月の夜、魂だけが空しく故郷に帰って来る。

千年後の今日まで、琵琶は異民族の調べを奏で、
彼女の恨みをありありと曲の中に語っている。

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朗読:左大臣光永

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