王昭君 李白(おうしょうくん りはく)

こんにちは。左大臣光永です。週の半ば、いかがお過ごしでしょうか?

私は最近、本郷界隈をよく歩きます。
東大正門そばの「万定フルーツパーラー」というお店は、
大正3年の創業で店内はレトロな空気がただよいます。
自家製のカレーライスはルーが黒々して味わい深かったです。

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本日は李白「王昭君」です。

▼音声が再生されます▼

王昭君の悲劇

漢王朝は創設以来、北方の遊牧騎馬民族国家・匈奴とたびたび衝突を繰り返していましたが、武帝・宣帝の時代を経て、匈奴と漢は歩み寄るようになります。

匈奴王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)は、漢王朝との結びつきを強めようと、時の皇帝・元帝に政略結婚を持ちかけます。

私は漢民族の婿となりたい。そのため、後宮の女を下してほしいのですと。元帝は匈奴と漢の歩み寄りのため、この話を呑みます。しかし一説には…いったん承知した後で、惜しくなってきたようです。

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後宮には数え切れないほどの美女がいましたが、多すぎて直に顔を確認できないので、似顔絵を見て、その中から夜毎のお相手を選んでいました。

そこで女性たちは少しでも美女に描いてもらおうと似顔絵師に賄賂を贈ります。その中に王昭君は自分の美貌に絶対の自信があり、賄賂を贈りませんでした。怒った似顔絵師は、王昭君の顔をひどく醜く描きます。

この似顔絵が元帝の目にとまります。これならくれてやっても惜しくない。そう思った元帝は、王昭君を匈奴に送ることにしました。

出発の際、はじめて王将君を見た元帝は、その美しさに驚きます。しかし今更断るのは外交問題になると、泣く泣く王昭君を送り出しました。

李白の詩『王昭君』は、五言絶句と古詩(長い形式の詩)との二首かなる、連作です。

王昭君
昭君払玉鞍
上馬啼紅頬
今日漢宮人
明朝胡地妾

王昭君
昭君、玉鞍を払い、
馬に上って紅頬に泣く。
今日漢宮の人、
明朝胡地の妾。

現代語訳

王昭君は玉の鞍の露を払い、
馬に乗るとその紅い頬には涙が流れた。

今日は漢の王宮の人なのに、
明日の朝には匈奴の妾となってしまうのだ。

語句

■玉鞍 「玉」はヒスイなどの高価な石。そういうもので作られた鞍。 ■紅頬 赤い頬。 ■漢宮人 漢の王宮の人。 ■胡地 異民族がすむ地域。 ■妾 めかけ。


つづいて二首目です。

漢家秦地月
流影照明妃
一上玉関道
天涯去不帰。
漢月還従東海出
明妃西嫁無来日
燕支長寒雪作花
蛾眉憔悴没胡沙
生乏黄金枉図画
死留青塚使人嗟

王昭君 李白
漢家(かんか) 秦地(しんち)の月
流影(りゅうえい) 明妃(めいひ)を照らす
一(ひと)たび玉関(ぎょっかん)の道に上(のぼ)り
天涯(てんがい) 去って帰らず
漢月(かんげつ)は還(ま)た 東海より出(い)づるも
明妃(めいひ)は西に嫁(か)して来たる日無し
燕支(えんし) 長(とこし)えに寒くして 雪は花と作(な)り
蛾眉(がび) 憔悴(しょうすい)して 胡沙(こさ)に没す
生きては黄金(おうごん)に乏しく 枉(ま)げて図画(ずが)せられ
死しては青塚(せいちょう)を留(とど)めて人をして嗟(なげ)かしむ

現代語訳

漢の時代。長安を照らした月。
その流れるような月の光は明妃(王昭君)を照らしていた。

ひとたび玉門関を越えて旅路につくと
生涯戻ってはこれなかった。

漢の時代の月はまた東の海から上ってくるが、
明妃(王昭君)は西に嫁いで二度と戻って来る日は無かった。

燕支の山ははいつも寒く雪は花のように舞い散り、
美しい眉はやつれ果て、野蛮人のいる砂漠に没した。

生きていた時は似顔絵師に賄賂を贈らなかったため、事実をまげて醜く描かれ、
死んでは青塚とよばれる墓だけをとどめて、人々を嘆かせている。

語句

■王昭君 中国前漢の元帝(在位BC48-BC33)の時代に後宮に勤めていた美女。楊貴妃、西施、貂蝉とともに中国四大美女の一人とされる。匈奴との外交のため匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。五言絶句の「王昭君」参照。 ■漢家 漢の王家。漢王朝。 ■秦地 長安。 ■流影 流れるような月光。 ■明妃 匈奴王の后となった王昭君。西晋の司馬昭にはばかって「昭」の字を避け、晋代には王明君、明妃などとした。 ■玉関 玉門関。 ■燕支 山の名。甘粛省永昌県の西。山丹県の東南。しばしば匈奴と漢の間で争われた。 ■蛾眉 女性の美しい眉。 ■胡沙 野蛮人の棲む砂漠。 ■生乏黄金枉図画 王昭君が似顔絵師・毛延寿に賄賂を贈らなかったため、事実を捻じ曲げて醜く描かれたこと。四世紀の小説『西京雑記(せいけいざっき)』による。 ■青塚 王昭君の墓。周囲には白草が多いが王昭君の墓の上だけ青草が茂っていることから名付けられた。

解説

五言絶句の「王昭君」と二首連作の第二首です。ひきつづき、匈奴の国に嫁した王昭君の悲劇を歌います。ここでは王昭君のことを明妃と読んでいますが、西晋の太祖司馬昭にはばかって「昭」の字を避け、晋代には王明君、明妃などとしました。

青塚(せいちょう)は王昭君の墓です。周囲には白草が多いが王昭君の墓の上だけ青草が茂っていることから名付けられました。ただし、場所については諸説あります。


王昭君の墓「青塚」のことは、杜甫の「詠懐古跡 其三」にも印象的に歌われています。

詠懐古跡 其三 杜甫
郡山万壑赴荊門
生長明妃尚有村
一去紫台連朔漠
独留青塚向黄昏
画図省識春風面
環佩空帰月夜魂
千載琵琶作胡語
分明怨恨曲中論

詠懐古跡 其三 杜甫
郡山(ぐんざん) 万壑(ばんがく) 荊門(けいもん)に赴(おもむ)く
明妃(めいひ)を生長(せいちょう)して尚(な)お村有り
一(ひと)たび紫台(しだい)を去れば朔漠(さくばく)連(つらな)る
独(ひと)り青塚(せいちょう)を留めて黄昏(こうこん)に向う
画図(がと)に省(かつ)て識(し)らる 春風(しゅんぷう)の面(おもて)
環佩(かんぱい) 空しく帰る 月夜(げつや)の魂(たましい)
千載(せんざい) 琵琶は胡語(こご)を作(かた)りて
分明(ふんめい)に怨恨(えんこん)を曲中に論ず

山々、谷々は荊門山になだれこんでいく。
このあたりに、王昭君が成長した村が今も残っている。
ひとたび漢の王宮を去れば、どこまでも砂漠が続く。
ただ青塚と呼ばれる墓だけが、夕暮れの光を前にして残っている。

似顔絵師が故意に醜く描いたその似顔絵によってのみ、
王昭君の美しい顔は皇帝に知られたのであり、
環佩(女性の装身具)を揺らして、
月の夜、魂だけが空しく故郷に帰って来る。

千年後の今日まで、琵琶は異民族の調べを奏で、
彼女の恨みをありありと曲の中に語っている。

最後に、

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本日も左大臣光永がお話しました。ありがとうございます。ありがとうございました。

朗読:左大臣

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