送応氏 曹植(おうしをおくる そうしょく)

■【中国語つき】漢詩の朗読を聴く
■【古典・歴史】メールマガジン
■【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル

▼音声が再生されます▼

送應氏 曹植
歩登北芒坂
遥望洛陽山
洛陽何寂寞
宮室尽燃焚
垣牆皆頓擗
荊棘上参天
不見旧耆老
但観新少年
側足無行径
荒疇不復田
遊子久不帰
不識陌興阡
中野何蕭条
千里無人烟
念我平生親
気結不能言

応氏(おうし)を送(おく)る 曹植(そうしょく)
歩(あゆ)んで北芒(ほくぼう)の坂(さか)を登(のぼ)り
遥(はる)かに洛陽(らくよう)の山(やま)を望(のぞ)む
洛陽(らくよう) 何(なん)ぞ寂寞(せきばく)たる
宮室(きゅうしつ) 尽(ことごと)く燃焚(ねんふん)す
垣牆(えんしょう) 皆頓(みなくず)れ裂(さ)け
荊棘(けいきょく) 上(のぼ)って天(てん)に参(まじ)わる
旧耆老(きゅうしろう)を見(み)ず
但(た)だ新少年(しんしょうねん)を観(み)るのみ
足(あし)を側(そばだ)つるに行径(こうけい)無(な)く
荒疇(こうちゅう) 復(ま)た田(たがや)さず
遊子(ゆうし) 久(ひさ)しく帰(かえ)らず
陌(はく)と阡(せん)とを識(し)らざらん
中野(ちゅうや) 何(なん)ぞ蕭条(しょうじよう)たる
千里(せんり) 人煙(じんえん)無(な)し
我(わ)が平生(へいぜい)の親(しん)を念(おも)い
気結(きむす)ぼれて言(い)うこと能(あたわ)ず

現代語訳

徒歩で北芒の坂を登ると、
遥かに洛陽の山々が望まれる。

洛陽のなんと荒れ果てた光景よ!
宮殿はみな焼け落ちてしまった。

垣根や堀は、みな崩れている。
いばらが天に届かんばかりに生い茂っている。

昔なじみの故老の姿は見えず、
若い人の姿ばかりが目立つ。

つま先立つほどの道すら無く、
こんな荒れた地では再び開墾しようという者もいない。

久しく洛陽を離れていた旅人(応氏)には、
街路の区画もよくわからなくなっていよう。

侘しげな荒野に千里先まで人煙は見えない。

長く親しくしてきた友人と別れるのだと思うと、
心が折れて言葉を失う。

語句

■応氏 曹植の側近、応瑒(おうとう)・応璩(おうきょ)の兄弟。 ■北芒 洛陽東北の山。 ■燃焚 190年、董卓は洛陽を焼き払い、長安に遷都した。 ■垣牆 垣根や堀。 ■荊棘 いばら。 ■側足 つま先立つ。 ■行径 道。 ■荒疇 荒れた地。 ■遊子 旅人。ここでは応兄弟。 ■陌興阡 「陌」と「阡」は都市の区画の単位。 ■中野 荒れた地。 ■親 親しくしてきた友人。 ■気結 気持が塞ぐ。心が折れる。

解説

【応氏】(應氏)は、曹植の側近、応瑒(おうとう)・応璩(おうきょ)の兄弟。この詩は211年、曹植が父曹操に従って馬超を征伐しに向かった時、洛陽を通過し、応兄弟を見送った時の作です。

この頃、洛陽の街は董卓の乱によって荒れ果てていました。

次の漢詩「七哀詩

朗読:左大臣光永

■【中国語つき】漢詩の朗読を聴く
■【古典・歴史】メールマガジン
【古典・歴史】YOUTUBEチャンネル