杜牧「江南春絶句」ほか二篇

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蘇州

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江南春絶句 杜牧
千里鶯啼緑映紅
水村山郭酒旗風
南朝四百八十寺
多少楼台煙雨中

江南春絶句(こうなんしゅんぜっく) 杜牧(とぼく)
千里(せんり)鶯(うぐいす)啼(な)いて緑(みどり)紅(くれない)に映(えい)ず
水村山郭(すいそんさんかく)酒旗(しゅき)の風(かぜ)
南朝四百八十寺(なんちょうしひゃくはっしんじ)
多少(たしょう)の楼台(ろうだい)煙雨(えんう)の中(うち)

現代語訳

そこらじゅうで鶯が啼き木々の緑が花の紅色と映しあっている。
水際の村でも山沿いの村でも酒屋ののぼりがたなびいている。

古都金稜には南朝以来のたくさんの寺々が立ち並び、
その楼台が春雨の中に煙っている。

語句

■千里鴬啼 そこらじゅうでウグイスが啼いている。 ■緑映紅 若葉の緑が花の赤に映える。 ■水村 水際の村。 ■山郭 山沿いの村。 ■酒旗風 居酒屋ののぼりをたなびかせる風。 ■四百八十寺 平仄の都合から「十」を「シン」と読み、日本でもシヒャクハッシンジと読み慣わす。 ■多少 無数の。 ■煙雨中 霧雨の中に。

解説

春の景色を歌って、古くから親しまれている詩です。「江南の春」とも。詩吟でよく吟じられる詩です。

杜牧(830-853)。字は牧之。晩唐を代表する詩人。京兆万年 (陝西省西安市) の人。長安の名門の出身。杜甫に対して「小杜」と言われます。主に七言絶句に才能を発揮しました。

「江南」は長江下流の江蘇・安徽・浙江の三省にわたる豊かな農耕地帯。古くから「蘇杭熟すれば天下足る」と言われました。

第一句「千里鶯鳴いて…」と雄大な出だし。そして山沿いの村、その村にある居酒屋の旗と、だんだんカメラがクローズアップしていきます。

そして第三句「南朝四百八十寺」…南朝時代の寺々がようするに、たくさんある、ということですが、「四百八十寺」は平仄の関係から日本語書き下しでも「シヒャクハッシンジ」と読むのが慣習になっています。

四句「多少楼台煙雨中」…多くの楼台が、春雨の中に煙っている。ものうい春の情景をとらえて印象深い結びです。

「江南春絶句」を踏まえた俳句に、

「鯊(はぜ)釣るや水村山郭酒旗の風」 服部嵐雪

現代語訳

漢江はこんこんと水をたたえ水面は日の光を反射してゆらゆらと揺れる中、
白いカモメが飛んでいく。

緑は清らかで、春は深く、私の衣を染めるようだ。
南へ北へ行き来しているうちに、気が付くと人は年を取ってしまう。
夕陽が、家に帰っていく釣り船をいつまでも見送っている。

語句

■漢江 川の名。漢水。長江の支流。陝西省西部に源を発し、東に流れ、武漢で長江に注ぐ。 ■溶溶 水がこんこんと湛えているさま。 ■漾漾 水面がゆらゆら揺れているさま。 ■南去北來 南へ行ったり、北へ行ったりすること。

解説

うららかな春の日。漢水のほとりにたたずんだ詩人の感慨です。漢水は長江の支流。陝西省西部に源を発し、東に流れ、武漢で長江に注ぎます。

川の緑と白いカモメが鮮やかな色彩のコントラストを描きます。しかし転句でふと詩人は思い至るのです。ああ、人生は忙しく、北に南に駆け回っているうちに、ふと気がづくと年を取っているなァと。

結句は、夕陽が家に帰っていく釣り船を包みこむようにいつまでも照らして、まるで見送っているようだと、印象的な景色でしめます。春のうららかな漢水の景色の中に、人生の悲哀を感じ取った詩です。


杜牧の代表作をもう一首。

贈別 杜牧
多情却似総無情
唯覚罇前笑不成
蠟燭有心還惜別
替人垂涙到天明

贈別 杜牧
多情は却(かえ)って総(すべ)て無情に似たり
唯(た)だ覚ゆ罇前(そんぜん)笑いを成さざるを
蠟燭(ろうそく) 心有りて還(ま)た別れを惜しみ
人に替(かわ)って涙を垂(た)れて天明(てんめい)に到る

現代語訳

別れにあたって贈る詩 杜牧
情が多すぎることはかえって情が無いことに似ている。
ふと気づくと、酒樽の前で顔がひきつって笑うことができない。
蝋燭が蝋を垂らしているのは、まるで心があって別れを惜しみ、
私に替わって涙を流しているようだった。
そうこうしているうちに、朝に至った。

語句

■多情 感受性豊かで物事に感じやすいこと。 ■罇 酒樽。 ■天明 夜明け。

解説

「多情はかえって総て無情に似たり」…いいですねえ。わかる感じです。親しい友人?が遠く旅立つにあたって、別れの宴を開いたんです。

主人公は、笑顔で送り出してあげようと、いろいろ言葉もかけてやろうと、今までの感謝の気持ちを伝えようと、いろいろ考えていたでしょう。

ところが、いざ送別の宴が開かれると、あまりに胸がいっぱいで、言葉も出ない。笑うこともできない。そんな自分を見出すのです。

「多情はかえって総て無情に似たり」…うーーん…こういうことってありますよね。

ふと見ると蝋燭が、蝋を垂らしている。その様が、俺の代わりに涙を流しているようだ。そんなこんなで朝にまで至ったという詩です。

明日は白楽天の詩をお届けします。お楽しみに。

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