杜甫「曲江」~人生七十古来稀なり 漢詩の朗読

本日(9月18日)は「敬老の日」です。

「えっ、敬老の日は9月15日じゃなかったか?」

という方も多いと思います。

もとは昭和41年(1966)「国民の祝日に関する法律」で9月15日に定められ、2001年(平成13)ハッピーマンデー制度で9月の第3月曜日に移されました。

聖徳太子が身寄りのない老人・病人のために四天王寺に「悲田院」を建てたのが由来とする説もありますが、さだかではありません。

というわけで、敬老の日にちなんで杜甫の詩を読みます。「七十歳」を意味する「古稀」という言葉のゆらいになった詩です。

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曲江 杜甫

朝回日日典春衣
毎日江頭尽酔帰
酒債尋常行処有
人生七十古来稀
穿花蛺蝶深深見
点水蜻點款款飛
伝語風光共流転
暫時相賞莫相違

曲江(きょくこう) 杜甫

朝(ちょう)より回(かえ)りて日日(にちにち)に春衣(しゅんい)を典(てん)し
毎日(まいにち)江頭(こうとう)に酔(よい)を尽(つ)くして帰(かえ)る
酒債(しゅさい)は尋常(じんじょう) 行(ゆ)く処(ところ)に有(あ)り
人生七十(じんせいしちじゅう) 古来稀(こらいまれ)なり
花を穿(うが)つ蛺蝶(きょうちょう) 深深(しんしん)として見え
水に点(てん)ずる蜻點(せいてい) 款款(かんかん)として飛ぶ
伝語(でんご)す 風光(ふうこう)共に流転(るてん)す
暫時(ざんじ) 相賞(あいしょう)して相違(あいたが)う莫(なか)れと

現代語訳

毎日朝廷の仕事が終わると春着を質屋に入れ、その金で曲江のほとりで酩酊するまで飲んで、帰ってくる。

飲み代のツケはほうぼうにあるが、かまうものか。どうせ七十歳まで生きられることは稀なのだ。

花の蜜を吸うアゲハチョウが花々の奥深くに見え、トンボは水に尾を点々と触れながらゆるやかに飛んでいく。

この素晴らしい景色に対し、言いたい。すべて自然は移り変わっていく。

だからほんのしばらくでもいい。お互いに賞して、背きあうことがないようにしよう。

語句

■曲江 長安の東南にあった池。行楽地。 ■朝回 朝廷より帰る。 ■典 質入れする。 ■江頭 曲江のほとり。 ■酒債 酒の借金。 ■尋常 行く所どこにでも。 ■穿花 花の間に入りこむ。 ■蛺蝶 アゲハ蝶。 ■点水 水に尾をつける。 ■蜻點 とんぼ。 ■款款 のんびり、ゆるやかなさま。 ■伝語 伝言する。 ■相違 お互いに背き合う。

……

「人生七十(じんせいしちじゅう) 古来稀(こらいまれ)なり」ここから七十歳を意味する「古稀」という言葉がきています。

なんのことはない、まだ七十歳になっていないんですね。

七十まで生きることは滅多にないんだから、好きなようにやらせろ。酒ぐらい好きなだけ飲ませろという話です。

まあ人間の寿命が短かった時代ですから、今でいえばこの七十稀というのは九十歳くらいの感覚でしょうか。

『徒然草』にもこうあります。

命あるものを見るに、人ばかり久しきものはなし。かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。つくづくと一年を暮らすほどだにも、こよなうのどけしや。あかず惜しと思はば、千年(ちとせ)を過(すぐ)すとも一夜(ひとよ)の夢の心地こそせめ。

住み果てぬ世に、みにくき姿を待ちえて何かはせん。命長ければ辱(はじ)多し。長くとも四十(よそじ)に足らぬほどにて死なんこそ、めやすかるべ

命あるものを見れば、人間ほど長生きするものは無い。かげろうが朝生まれて夕方には死に、夏の蝉が春や秋を知らない例もあるのだ。しみじみ一年を暮らす程度でも、たいそうのんびりした時を過ごせるものであることよ。

満足できない。もっともっとと思ったら、千年を過ぎても一夜の夢の心地がするだろう。どうせ永遠には生きられない世の中に、長生きした末に醜い姿を得て、それが何になるだろう。

長生きすると恥も多くなる。長くても四十未満で○ぬのが無難だ。

……

四十前に○ねといってるんですね(笑)。それ以上生きるのは見苦しいと。

しかし安心してください。こういうことを言った兼好法師は、七十歳あたりまで生きました。

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