石田三成 川田瑞穂(いしだみつなり かわだみずほ)

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石田三成 川田瑞穂
君臣同禄有誰同
休道権謀在此中
千古美談千古誼
遂教猛士殉英雄

石田三成(いしだみつなり) 川田瑞穂(かわたみずほ)
君臣(くんしん) 禄(ろく)を同(おな)じうす 誰(たれ)あってか同(おな)じき
道(い)うを休(や)めよ 権謀(けんぼう) この内(うち)にありと
千古(せんこ)の美談(びだん) 千古(せんこ)の誼(よしみ)
遂(つい)に猛士(もうし)をして英雄(えいゆう)に殉(じゅん)ぜしむ

現代語訳

石田三成は島左近を自分と同禄の二万石で召抱えた。
主人と家来が同禄などとは、古来聞いたことがない。

こんなことは小手先の計算でできるようなことではない。
千年たってもすたれない美談であり、二人の絆は並々ならぬものとなった。

三成のこうした熱意が左近を動かし、ついに関が原で殉じるに至ったのだ。

解説

石田三成、島左近のアツい関係を歌った詩です。

島左近。「三成に過ぎたるものが二つあり島の左近と佐和山の城」と謳われました。

最初は筒井家に仕え、松倉重信(右近)と並んで筒井家の両翼「右近左近」と言われました。

その後、豊臣秀長・豊臣秀保に仕えるも大和豊臣家断絶により近江市内で浪人となります。

そこへ赴任してきたのが石田三成です。三成は左近に任官の誘いをかけます。左近は何度も断るが、三成は禄高4万石のうち半分を左近に与えると破格の条件を出します。

さすがに左近も感ずるところがあったんでしょう。以後、三成と生命を共にします。

関が原ではを田中吉政・黒田長政らを相手に最後まで八面六臂の戦いをして、最後は銃撃により討ち死にしました。

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朗読:左大臣光永

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