本能寺 頼山陽(ほんのうじ らいざんよう)
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本能寺 溝幾尺
吾就大事在今夕
藁粽在手藁併食
四簷梅雨天如墨
老坂西去備中道
揚鞭東指天猶林
吾敵正在本能寺
敵在備中汝能備
本能寺 溝 幾尺なるぞ
吾 大事を就(な)すは今夕に在り
藁粽(こうそう)手に在り藁(こう)併せて食らう
四簷(しえん)の梅雨 天 墨の如し
老ノ坂 西に去れば備中の道
鞭を揚げ 東を指せば天猶ほ早し
吾が敵は正に本能寺に在り
敵は備中に在り、汝能く備えよ
現代語訳
「本能寺の溝はどれほどの深さか」
明智光秀は部下に尋ねた。
(事を行なうのは今夜しか無い…)
心がはやりすぎたのだろうか、
光秀はちまきを皮ごと食べてしまった。
あたりには梅雨が降りしきり、
天は墨のように真っ黒だった。
光秀の軍勢は老ノ坂にさしかかる。
ここから西へ向かえば信長の命令どおり、
備中に出られる。
しかし光秀は逆に東に向かって鞭を上げる。
早朝のことで、空はまだ薄暗い。
「敵は本能寺にあり!」
光秀よ、本当の敵は備中の秀吉だったのだ。
秀吉に対してこそ、備えをすべきであったのに。
解説
本能寺の変は天正10年(1582年)6月2日、明智光秀が主君の織田信長を京都四条西洞院本能寺に襲い、自刃に追い込んだ事件。
織田信長は備中高松城で毛利勢と対峙している羽柴秀吉に加勢するため上洛し、京都四条の本能寺に宿所を取っていました。
一方の明智光秀は信長より秀吉に加勢するよう命じられ、丹波亀山城にて準備を整えていました。
この時、光秀は愛宕山に参詣して「時は今 天が下知る 五月哉」を発句とする連歌の会を催します。
6月1日夜10時頃、光秀は1万3000の軍勢を率いて老ノ坂を下り、桂川を越え、命じられていた中国とは反対側、本能寺へと向かい、信長を襲います。
光秀の襲撃を知った信長は「是非に及ばず」と言って、森蘭丸らと応戦するも力及ばず
蘭丸に火を放たせ自刃しました。
ついで光秀は二条御所に信長の嫡男信忠を襲い、これも自刃に追い込みます。
徳川家康は信長のすすめで堺を見物していましたが本能寺強襲の知らせを聞くと急いで三河に逃げ帰りました。
中国の秀吉は速やかに毛利氏と講和して兵を帰し(中国大返し)、
織田信孝・丹羽長秀と提携し、光秀軍を天王山の麓の山崎にて撃破。
光秀は逃亡中に小栗栖(宇治市)で農民に刺殺されました。
光秀が謀反を起こした理由は諸説あり、いまだに結論が出ていません。
頼山陽の代表作⇒
「不識庵機山を撃つの図に題す(川中島)」
「天草洋に泊す(泊る)」
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