陶淵明「園田の居に帰る」

こんにちは。左大臣光永です。

京都に戻りました。本日、近所の北野・西陣界隈をひさしぶりに歩いてきました。ここは観光地だなと、あらためて実感しました。

華やかで、胸がソワソワします。京扇子の店、京漬物の店、北野豆腐の店、焼き鳥屋や居酒屋、バーやラーメン屋も観光地の装いでなんとなく華やいでいます。

去年改装された北野白梅町駅の駅舎も、ここで嵐電に乗りんしゃい、嵐山までいけばもっとワクワクすることが待っとるで~と誘いかけているようで、素通りできない存在感を放ってます。

この界隈で節約生活とかムリだなと思いました。

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本日は陶淵明の詩「園田の居に帰る(帰園田居)」を読みます。

陶淵明(365-427)名は潜、字は淵明。または名が淵明、字が元亮とも。

「田園詩人」「隠逸詩人」として知られます。

東晋(317年 - 420年)の末期に潯陽(じんよう。江西省九江)の中流貴族の家に生まれ、29歳ではじめて任官。以後、断続的に役人生活を続けるも、家柄のため出世はかなわず、人と折り合いがつかず、しだいに故郷の田園に帰りたいと思うようになります。

陶潜が彭沢(ほうたく)県(潯陽の一地方)の県令であった時、査察官が来るので正装して迎えよと指示が出ます。しかもその査察官は陶潜の同郷の若造でした。つのる屈辱感。陶潜は「われ五斗米の為に膝を屈して小人に向かう能わず(わずかな給料のためにくだらないヤツにへーこらできるかよ)」といって、その場で官を辞し、故郷の田園に向かいました。

この詩は、辞任して故郷の田園に戻った、その前後の気持をのべたものです。

帰園田居
少無適俗韻
性本愛邱山
誤落塵網中
一去十三年
羈鳥戀旧林
池魚思故淵
開荒南野際
守拙帰田園
方宅十餘畝
草屋八九間
楡柳蔭後簷
桃李羅堂前
曖曖遠人村
依依墟里煙
狗吠深巷中
鶏鳴桑樹頂
戸庭無塵雑
虚室有余間
久在樊籠裏
復得返自然

園田の居に帰る 陶淵明
少(わか)きより俗に適(かな)うの韻(いん)無く
性 本(もと)邱山(きゅうざん)を愛す
誤って塵網(じんもう)の中に落ち
一たび去って十三年
羈鳥(きちょう)は旧林(きゅうりん)を戀(こ)い
池魚(ちぎょ)は故淵(こえん)を思う
荒(こう)を南野(なんや)の際(さい)に開かんとし
拙(せつ)を守って田園に帰る
方宅(ほうたく)は十餘畝(じゅうよほ)
草屋(そうおく)は八九間(はちくけん)
楡柳(ゆりゅう) 後簷(こうえん)を蔭(おお)い
李(とうり) 堂前(どうぜん)に羅(つら)なる
曖曖(あいあい)たり遠人(えんじん)の村
依依(いい)たり墟里(きょり)の煙(けむり)
狗(いぬ)は吠ゆ深巷(しんこう)の中
鶏は鳴く桑樹(そうじゅ)の頂
戸庭(とてい) 塵雑(じんざつ)無く
虚室(きょしつ) 余間(よかん)有り
久しく樊籠(はんろう)の裏(うち)に在(あ)りしも
復(ま)た自然に返るを得たり

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朗読:左大臣光永