易水送別 駱賓王(えきすいそうべつ らくひんのう)
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易水送別 駱賓王
此地別燕丹
壮士髪衝冠
昔時人已没
今日水猶寒
易水送別(えきすいそうべつ) 駱賓王(らくひんのう)
此地(このち) 燕丹(えんたん)に別(わか)れ
壮士(そうし) 髪(はつ) 冠(かんむり)を衝(つ)く
昔時(せきじ) 人(ひと) 已(すで)に没(ぼっ)し
今日(こんにち) 水(みず) 猶寒(なおさむ)し
現代語訳
この易水のほとりこそ刺客の荊軻が燕の太子丹に別れた場所だ。
その時、壮士(血気さかんな男児)の髪の毛は悲憤のあまり、冠を衝き上げるほどであった。
そういった昔の人々はすでに没して遠い過去の話となったが、
今日も易水の水は寒々と流れている。
語句
■此地 燕の国、易水のほとり。易水は中国河北省を流れる川。 ■燕丹 燕の太子丹。 ■壮士 血気さかんな男児。荊軻のこと。 ■髪衝冠 悲憤のあまり髪の毛が逆立って、冠を突き上げるような、それほど感きわまっている状態。
解説
荊軻の話を元にした詩です。
戦国時代の末、燕の太子丹は秦王政(始皇帝)に恨みを抱き、刺客の荊軻を雇って暗殺させようとしました。
見送りの人々は喪服を着て易水のほとりまで荊軻を見送ります。
その別れの宴の中で、荊軻は「風蕭蕭(しょうしょう)として易水寒し、
壮士一たび去って復た還らず」と吟ずるのでした。
『史記』の「刺客列伝」に見える話です。陳舜臣の「小説十八史略」が読みやすいです。『平家物語』「咸陽宮」には、始皇帝暗殺の次第がドラマチックに語られています。
『平家物語』「咸陽宮」
↑こちらで朗読しています。
駱賓王(640?-684)。浙江省義鳥の人。王勃、楊炯、盧照鄰と並び初唐四傑の一人。則天武后に嫌われ浙江の臨海丞に左遷されます。
684年、李敬業が反乱を起こすとこれに荷担し、打倒則天武后の激文を書きます。
その檄文を読んだ則天武后は駱賓王の文才に感嘆し、このような人材を失ったことを惜しんだといいます。
三国時代に打倒曹操の檄文を飛ばし、その文才によってかえって曹操に用いられた、陳淋の故事を思い起こさせる話です。
反乱鎮圧後の駱賓王のゆくえは、ようとして知れません。
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