阿蘇山 徳富蘇峰(あそざん とくとみそほう)

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阿蘇山 徳富蘇峰
一道晴煙衝碧旻
五峰如削競嶙峋
幾回来往阿蘇路
始見名山面目真

阿蘇山(あそざん) 徳富蘇峰(とくとみそほう)
一道(いちどう)の晴煙(せいえん) 碧旻(へきぶん)を衝(つ)き
五峰(ごほう) 削(けず)るがごとく 嶙峋(りんじゅん)を競(きそ)う
幾回(いくかい)か来往(らいおう)す 阿蘇(あそ)の路(みち)
始(はじ)めて見(み)る 名山面目(めいざんめんぼく)の真(しん)を

現代語訳

一筋の晴れ晴れとした白煙が真っ青な空を突き上げている。
阿蘇の五岳が空を削るように険しさを競っている。

何度か阿蘇の路は通ったが、今日の阿蘇山の姿はとりわけ素晴らしい。まさに名山である。

解説

徳富蘇峰(1863-1957)。明治~昭和のジャーナリスト、評論家、歴史家。肥後出身。本名猪一郎。父一敬(かずたか)は横井小楠の高弟、徳冨蘆花は弟。熊本洋学校を経て同志社に入学。熊本で大江義塾を経営後、明治20年(1887)民共社を創設。雑誌「国民之友」新聞「国民新聞」を創刊。平民主義を唱えた。日清戦争後から太平洋戦争中にかけて国家主義的な言論にかたむき、戦後、A級戦犯容疑者とされた。

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朗読:左大臣光永

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