題常盤抱孤図 梁川星巌

題常盤抱孤図 梁川星巌

雪灑笠檐風捲袂
呱呱覓乳若為情
他年鉄枴峰頭嶮
叱咤三軍是此声

常盤 孤を抱くの図に題す 梁川星巌
雪は笠檐《りゅうえん》に灑《そそ》いで風は袂を捲《ま》く
呱呱《ここ》 乳《ちち》を覓《もと》む 若為《いかん》の情ぞ
他年 銕枴峰頭《てつかいほうとう》の嶮《けん》
三軍を叱咤するは是れ此の声

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現代語訳

雪は笠の庇に雪ぎ、風は袂を巻き上げて吹く。

赤子がエーンエンと泣く。お乳を求める赤子の、
その思いは、どれほどのものであったろうか。

後年、一の谷の合戦で鉄枴が峰の上で三軍を叱咤したのは、まさに、この声であるのだ。

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語句

■常盤 源義朝の愛妾。義経の母。 ■笠檐 笠のひさし。 ■呱呱 子供(牛和、乙若、今若)が泣く声。 ■他年 後年。 ■鉄枴峰 鉄枴が峰。六甲山の一部。一の谷の合戦の時、大将の義経が布陣した。中腹には「鐘懸松」という義経が甲をかけた松の木があった。

解説

漢詩の魅力の一つに、「歴史への興味をかきたてられる」
ということがあります。本場中国の漢詩も、
歴史の名場面を歌ったものは多いです。たとえば
三国志に関する詩は、多くの詩人によって詠まれています。

中でも杜甫は諸葛亮孔明のファンでした。

杜甫は首都長安を戦乱で焼け出され、はるか西の成都に落ち延び、
成都郊外の浣花渓に庵を結んですみました。

その、杜甫の庵のそばには劉備元徳と諸葛亮孔明を祀った
お堂がありました。杜甫はたびたびそのお堂に参拝し、
孔明に関する詩をいくつか作っています。

*************************************
蜀相 杜甫
丞相《じょうしょう》の祠堂《しどう》何《いず》れの処《ところ》にか尋ねん
錦官城外《きんかんじょうがい》 柏森森《はくしんしん》
階に映ずる碧草《へきそう》 自ら春色《しゅんしょく》
葉を隔つる黄リ《こうり》 空しく好音《こうおん》
三顧頻煩《さんこひんぱん》なり 天下の計
両朝《りょうちょう》開済《かいさい》す 老臣《ろうしん》の心
出師《すいし》未だ捷《か》たざるに身先ず死し
長《とこしな》えに英雄をして涙 襟に満たしむ
*************************************

蜀の丞相(諸葛亮孔明)を祭ったお堂は、どこだろうか。
成都の城外、柏がうっそうとしたあたりだ。

きざはしに映る草の緑は、春の気色を漂わせている。
梢の間に見え隠れするウグイスが、
いたずらに好い声でさえずっている。

三顧の礼を尽くした蜀の劉備に対し、
孔明は【天下三分の計】を示した。
そして劉備・劉禅二代にわたって、
老いてなお蜀に仕えたのだ。

魏に対して北伐の軍を起こしたが、
勝敗が定まる前に病没してしまった。
こうした孔明の生き様は、
後世の英雄たちに涙をしぼらせることになったのである。

そして日本でも、

江戸時代に、漢詩はとても盛んに作られました。
頼山陽の川中島をはじめ、現在でもおなじみの作品が多いですね。

日本史の名場面を、かちっと短い言葉の中に
はめこんでいるのは、嬉しくなります。

教科書なんかより、こういう短い絶句のほうが、
歴史へ興味を持つきっかけになるんじゃないでしょうか。

常盤 孤を抱くの図に題す 梁川星巌
雪は笠檐《りゅうえん》に灑《そそ》いで風は袂を捲《ま》く
呱呱《ここ》 乳《ちち》を覓《もと》む 若為《いかん》の情ぞ
他年 銕枴峰頭《てつかいほうとう》の嶮《けん》
三軍を叱咤するは是れ此の声

平治の乱・六条河原の戦いで敗れた源義朝は再起をはかり
わずかな手勢とともに東国へ逃げ延びます。

しかし尾張知多半島にて、味方の裏切りによって
風呂の中で刺し殺されました。

一方、愛妾の常盤は今若・乙若・牛若の三人の子供を抱いて、
奈良方面へ落ち延びます。

末っ子の牛若はまだ二歳。途中お乳を飲ませたりしながら、
大和国にいる知り合いを頼って逃げていきます。

途中、吹雪になり、あたりはすっかり雪景色。悲惨です。
それでも母は子供たちのため、ここで死んでなるものかと、
歯を食いしばるのでした。

トントン、トントン、

「もし。入れてください。もし」

ところが頼みにしていた知り合いは、
固く門を閉じたまま家に入れてくれません。

常盤をかばうことは、平清盛にたてつくことでした。
ヘタをすると自分が死刑になるかもしれません。
誰も、常盤に手を差し伸べる者はありませんでした。

吹雪の中、意識が朦朧とする常盤。もうおしまいか…
その時、視界にお寺の門が見えてきました。

大和・大東寺の境内に、なかば倒れこむように
常盤はたどり着きました……

この、常盤午前と牛若の場面は、
子供のころ絵本などで聴いたという方もいらっしゃると思います。
この有名な日本史の名場面を、まるでカメラで写し撮ったように、
掛け軸に絵を描いたように、こんなに短い言葉で、簡潔に、
切り取っていたのが梁川星巌の「常盤 孤を抱くの図に題す」です。

特に詩吟ファンには人気のようです。

私はもっともっといろいろな場面を漢詩で読みたかったなあと思います。
現在では漢詩が新しく作られるということは、あまり無いんですが…
壬申の乱や関ヶ原、桜田門外の変、226事件など、

日本史の名場面の数々を漢詩で歌い上げたら、
少なくとも教科書よりも、歴史に興味を持つ
きっかけになると思います。(しかも短くて覚えやすいし)

どなたかぜひ、歴史の名場面を漢詩に作ってください。

作者 梁川星巌

梁川星巌《やながわ せいがん》(1789-1858)。江戸時代後期の漢詩人。尊皇攘夷派の志士。名は孟緯、字を公図。号を星巌、詩禅。通称新十郎。寛政8年(1789年)6月18日、美濃国安八郡曾根村(現岐阜県大垣市)に生まれます。

文化4年(1807年)19歳で志を立て江戸に出て古賀精里や山本北山の私塾 奚疑塾《けいぎじゅく》に儒学と詩を学びます。しかし放蕩生活にひたり、いったん帰郷しました。

22歳でふたたび江戸に出て山本北山の奚疑塾に入り、大窪天民(詩仏)・菊池五山など、江湖詩社《こうこししゃ》の詩人たちと交友します。

文化14年(1817年)29歳で帰郷。郷里に塾を開き梨花村舎と名づけ、村瀬藤城・柴山老山らと白鴎社《はくおうしゃ》という結社を結成。

文政3年(1820年)32歳で幕末の女流漢詩人として活躍することになる紅蘭(1804-79)と結婚。同5年妻を伴って西遊の旅に出ます。この旅は博多・長崎まで至る五年間に及ぶ大規模な旅でした。

天保4年(1832年)、ふたたび江戸に出て、神田お玉が池に玉池吟社《ぎょくちぎんしゃ》を開き江戸詩壇で指導的な立場となっていきます。この頃藤田東湖、佐久間象山とも交わりを持ち世情への感心を高めていきます。

弘化2年(1845年)玉池吟社をたたんで帰郷。翌3年京都へ上り悠々自適の傍ら梅田雲浜、頼三樹三郎、吉田松陰、春日潜庵《かすがせんあん》、橋本左内らと時勢を論じ、尊王倒幕運動にかかわるようになっていきました。

幕府からは尊皇倒幕派とにらまれますが、安政の大獄がはじまる直前の安政5年(1858年)9月2日、流行のコレラにより70歳で没しました。墓は京都南禅寺にあります。

星巌は、はじめ宋詞を、後に唐詩や清の詩を好み「日本の李白」といわれました。星巌の詩は頼山陽の文章とならび賞されました。詩集に『西征詩』『星巌集』『星巌先生遺稿』。

朗読:左大臣

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