杜甫「曲江」~一片の花飛んで春を減却す

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曲江 杜甫

一片花飛減却春
風飄万点正愁人
且看欲尽花経眼
莫厭傷多酒入脣
江上小堂巣翡翠
苑辺高塚臥麒麟
細推物理須行楽
何用浮名絆此身

一片の花飛んで春を減却す
風は万点を飄(ひるがえ)して正(まさ)に人を愁えしむ
且(か)つ看(み)ん 尽きんと欲する花の眼 (まなこ)を経(ふ)るを
厭(いと)う莫(なか)れ 多きに傷(す)ぐる酒の脣(くちびる)に入(い)るを
江上(こうじょう)の小堂(しょうどう)に翡翠(ひすい)巣くい
苑辺(えんぺん)の高塚(こうちょう)に麒麟(きりん)臥(ふ)す
細かに物理を推(お)すに須(すべ)からく行楽すべし
何ぞ用いん 浮名(ふめい)もて此身(このみ)を絆(ほだ)すことを

現代語訳

ひとひらの花が散るごとに春は衰える。なのに
風はそこらじゅうの花を吹き散らしている。
人を深い愁いに誘うことだ。

せめて見ようじゃないか。尽きようしている花が目の前を過ぎていくのを。
厭うことはない。多量の酒が唇に入ることを。

川のほとりの小さな小屋にはカワセミが巣くい、
園のほとりの高い塚には石造りの麒麟の像が臥している。

細かに物の道理を考えてみるに、人生は面白おかしく生きるべきもの。
虚名でこの身をしばられるなど、無用なことだ。

語句

■曲江 長安東南にあった池。春は長安市民の行楽地となった。 ■減却 衰える。 ■万点 そこらじゅうに咲いている花のこと。 ■且 花が散るのは仕方無いが、それでもまあ、という感じをこめる。 ■欲 ~しつつある。 ■経眼 目の前を通り過ぎる。 ■江上 曲江のほとり。 ■小堂 小さな建物。 ■翡翠 かわせみ。 ■苑辺 園のほとり。 ■麒麟 石づくりの麒麟。 ■推物理 物の道理をおしはかる。 ■行楽 面白おかしく過ごす。 ■何用 無用のこと。 ■浮名 虚名。 ■絆 しばられる。

解説

唐王朝最大の内乱といわれた安史の乱(755-763)。

そのさなか、杜甫は反乱軍の捕虜となり長安で幽閉されますが、
至徳2年(757年)自力で脱出。

長安を遠く離れて北方の霊武にいた
粛宗皇帝のもとに駆けつけます。

この国難の時期にこそ、
唐王朝をお助けしよう!というわけです。しかし、

そもそも粛宗皇帝は安史の乱のドサクサにまぎれて、
父玄宗の許可を得ずに勝手に即位していたのでした。

なので父玄宗は粛宗の即位を認めていません。

そこで玄宗は粛宗のもとに、目付け役として房琯という
役人を送り込みました。
変なことしたら報告せよ、というわけです。

粛宗の側でも房琯が目付け役だとわかりますので、
粛宗は房琯をけむたく思っていました。

そして杜甫は、

国難に際して粛宗のもとに駆けつけた功績により
左拾遺に任じられます。

左拾遺とは、皇帝のそばにあって過ちを正す役職です。
ようやく活躍の場を得られて、がぜん張り切る杜甫でした。

そんな中、房琯の部下の一人がわいろを受け取り、
それがもとで房琯は左遷されることとなりました。

粛宗皇帝としては、うっとうしい房琯を
厄介払いする口実ができて、内心喜んだことでしょう。

しかし、そこで杜甫が粛宗皇帝を諌めて言います。

「ささいなことで有能な官僚を左遷するのは、間違っています」

「なにっ!さしでがましいことを申すな」

「さしでがましいは百も承知ですが、私は左拾遺です。陛下を
お諫め申し上げるのが私の役目です」

「それはそうじゃが…」

「綸言汗の如しと申します。
天子の発した言葉は二度と取り消せないものです。
陛下は私を左拾遺に任じられました。
なので私は職務をまっとうすべく、
あえて、申上げているのです」

「ぐぬぬ…」

杜甫はあくまで、職務に忠実でした。

おそらく古今のさまざまな事例を引用しまくって、
いかに自分の進言が正しいか、まくし立てたかもしれません。

粛宗皇帝はついにキレます。

「この者を死罪にせよ!」
「陛下、落ち着いてください!」
「ええい小賢しい。理屈ばかりこねくりまわしおって気にくわぬ。
殺せ、殺せッーー」

そんな感じだったかはわかりませんが、
周囲のいさめにより何とか死罪は免れたものの、
杜甫は粛宗皇帝のもとにいずらくなり、しだいに立場を失っていき、
ついに職場に居場所がなくなってしまいます。

それで、春の日にやることもなく、
長安南東の曲江という池のほとりをぶらぶら歩き、
酒を飲んで、ヤケッパチになっている詩です。

この後ほどなくして杜甫は粛宗皇帝の宮廷を追われ、
長安の東にある華州の地方官に左遷されます。

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