詠懐古跡 其三 杜甫

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詠懐古跡 其三 杜甫
郡山万壑赴荊門
生長明妃尚有村
一去紫台連朔漠
独留青塚向黄昏
画図省識春風面
環佩空帰月夜魂
千載琵琶作胡語
分明怨恨曲中論

詠懐古跡 其三 杜甫
郡山(ぐんざん) 万壑(ばんがく) 荊門(けいもん)に赴(おもむ)く
明妃(めいひ)を生長(せいちょう)して尚(な)お村有り
一(ひと)たび紫台(しだい)を去れば朔漠(さくばく)連(つらな)る
独(ひと)り青塚(せいちょう)を留めて黄昏(こうこん)に向う
画図(がと)に省(かつ)て識(し)らる 春風(しゅんぷう)の面(おもて)
環佩(かんぱい) 空しく帰る 月夜(げつや)の魂(たましい)
千載(せんざい) 琵琶は胡語(こご)を作(かた)りて
分明(ふんめい)に怨恨(えんこん)を曲中に論ず

現代語訳

山々、谷々は荊門山になだれこんでいく。
このあたりに、王昭君が成長した村が今も残っている。
ひとたび漢の王宮を去れば、どこまでも砂漠が続く。
ただ青塚と呼ばれる墓だけが、夕暮れの光を前にして残っている。

似顔絵師が故意に醜く描いたその似顔絵によってのみ、
王昭君の美しい顔は皇帝に知られたのであり、
環佩(女性の装身具)を揺らして、
月の夜、魂だけが空しく故郷に帰って来る。

千年後の今日まで、琵琶は異民族の調べを奏で、
彼女の恨みをありありと曲の中に語っている。

語句

■群山 山々。 ■万壑 谷々。 ■荊門 山の名前。湖北省宜都県の西北。 ■明妃 王昭君。中国前漢の元帝(在位BC48-BC33)の時代に後宮に勤めていた美女。楊貴妃、西施、貂蝉とともに中国四大美女の一人とされる。匈奴との外交のため匈奴王呼韓邪単于(こかんやぜんう)へ送られる。西晋の司馬昭にはばかって「昭」の字を避け、晋代には王明君、明妃などとした。李白「王昭君」参照。 ■尚有村 帰州(湖北省)の東北にある昭君村。 ■紫台 唐の王宮。 ■朔漠 砂漠。 ■青塚 王昭君の墓。周囲には白っぽい草が生えたが王昭君の墓の所だけは青い草が生えたことから。内蒙古、包頭(パオトウ)市の近くにあるものが有力。 ■画図 肖像画。『西京雑記』によれば、王昭君は自分の美しさに自信があり、皇帝(元帝)が女を選ぶための似顔絵を描く似顔絵士・毛延寿に賄賂を送らなかった。怒った毛延寿は王昭君の似顔絵をひどく醜く描いた。これが元帝の眼に留まる。これなら匈奴に送っても惜しくないと。出発の時、はじめて王昭君を目にした元帝は驚く。しかし今更取り消しもできないと、泣く泣く王昭君を匈奴の国に送りだす。 ■環佩 女性の装身具。 ■作胡語 蛮族の言葉をしゃべる。王昭君が長い外国生活のうちに母国語を忘れたことを示す。

解説

五首連作の三首目は王昭君に思いを馳せます。王昭君は中国前漢の元帝(在位BC48-BC33)の時代に後宮に勤めていた美女で、楊貴妃、西施、貂蝉とともに中国四大美女の一人とされます。

漢王朝は創設以来、北方の遊牧騎馬民族国家・匈奴とたびたび衝突を繰り返していましたが、武帝・宣帝の時代を経て、匈奴と漢は歩み寄るようになります。

匈奴王・呼韓邪単于(こかんやぜんう)は、漢王朝との結びつきを強めようと、時の皇帝・元帝に政略結婚を持ちかけます。

私は漢民族の婿となりたい。そのため、後宮の女を下してほしいのですと。元帝は匈奴と漢の歩み寄りのため、この話を呑みます。しかし一説には…いったん承知した後で、惜しくなってきたようです。

後宮には数え切れないほどの美女がいましたが、多すぎて直に顔を確認できないので、似顔絵を見て、その中から夜毎のお相手を選んでいました。

そこで女性たちは少しでも美女に描いてもらおうと似顔絵師に賄賂を贈ります。その中に王昭君は自分の美貌に絶対の自信があり、賄賂を贈りませんでした。怒った似顔絵師は、王昭君の顔をひどく醜く描きます。

この似顔絵が元帝の目にとまります。これならくれてやっても惜しくない。そう思った元帝は、王昭君を匈奴に送ることにしました。

出発の際、はじめて王将君を見た元帝は、その美しさに驚きます。しかし今更断るのは外交問題になると、泣く泣く王昭君を送り出しました。

李白「王昭君」もよく知られた詩です。

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朗読:左大臣光永

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