安史の乱と李白

前回まで、
「安史の乱」のお話をお届けしてまいりました。

755年から9年間にわたって戦われた安史の乱は
豊かだった中国全土を焼け野が原としました。

李白・杜甫・王維など、
詩人たちの作品の上にも安史の乱の影響は
色濃く出ています。

なので漢詩を味わう上で、
「安史の乱」の流れを知っておくと、必ずプラスになります。

本日は第四回「安史の乱と李白」です。

755年11月に安史の乱が起こると、
李白は戦乱を逃れるため各地を転々とします。

そして金陵(南京)に
いったん落ち着きます。

金陵
【金陵】

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金陵は歴史ある古い町並みで、歓楽街も
にぎわっており、李白は大のお気に入りの街でした。

しかし時は戦時下。そう悠長なことは
言っていられませんでした。

李白 廬山に身を隠す

757年6月、長安最後の守り、潼関が破られ、
潼関をまもっていた老将哥舒翰(かじょかん)が
捕虜となります。

潼関の戦い
【潼関の戦い】

反乱軍は破竹の勢いで長安に押し寄せます。

すると玄宗皇帝は楊貴妃とその一族、
そのほかわずかなお供を引き連れて長安を脱出。
四川の成都をめざします。

玄宗皇帝、四川成都へ
【玄宗皇帝、四川成都へ】

しかしその道中、長安の西70キロ馬嵬駅
で配下の兵士たちの反乱にあい、
楊貴妃を殺させてしまいます。

馬嵬駅
【馬嵬駅】

李白はこれらの情勢を、金陵で知りました。

「まずい…戦が金陵まで及ぶかもしれぬ」

李白は船に乗り金陵を脱出します。

長江を西にさかのぼり、
尋陽(じんよう)で船を下りると廬山に身を隠します。

金陵~尋陽
【金陵~尋陽】

「戦が終わるまで、ここでのんびりしていよう…」

兄弟の対立

756年7月、北方の霊武では、
玄宗の第三子李享(りこう)が
父に無断で粛宗として即位します。

霊武
【霊武】

皇位継承の証である伝国の玉璽無しの強引な即位でした。
しかし粛宗は成都にいる父玄宗のもとに使者を飛ばし、
事後承諾という形で即位を認めさせてしまいます。

一方、玄宗は粛宗の弟永王李リンを
江陵府大都督に任じ、大船団を与えて
江南につかわします。

「いざ、江南へ!!」

江南は作物が豊かにとれる肥沃な地です。
しかもまだ反乱軍の攻撃を受けておらず、
手付かずの状態でした。

江南
【江南】

江南を反乱軍より先に押さえておけば、
反撃のあしがかりにできるわけです。

永王李リンの大船団は長江を東へ下り、
荊州の江陵で兵員をつのり、戦の準備を整えていました。

江陵
【江陵】

しかし、

永王李リンの戦争準備はすぐに兄粛宗の知るところとなり、
粛宗から永王李リンのもとに使いが届きます。

「すぐさま船団を引き上げよ。さもなくば反逆とみなす」

しかし永王李リンも粛宗の即位を認めてはいませんでした。

「玉璽無しで即位したものを
皇帝とは認められません。
よって兄上の命令に従う義理はありません」

永王李リンは粛宗からの書状を無視し、船団を整え、
長江を東へ下ります。

永王李リン 李白を招く

途中、永王李リンは廬山に有名な詩人の李白が
いると聞き、使いを立てます。

廬山
【廬山】

「李白殿、貴殿は詩を書くだけのお方では無いはず。
国家の一大事に、力を貸してくだされ。
李白殿を、幕僚としてお迎えしたい」

詩人を幕僚にするというのは今の感覚だと
へんな気がしますが、昔の中国では、詩や文章は
政治や軍事と直結して考えられていました。

詩人であると同時に政治家であり
武人でもあった、曹操のような例もあります。

「ぬぬ…どうしたものか」

迷っていた李白でしたが、永王李リンからの再三の誘いに
応じて、ついに廬山を下ります。

「おお李白殿が加わってくれれば心強い」
「殿下、微力ながらお力添えさせていただきます」

永王李リンの滅亡

しかし李白は、永王李リンが粛宗皇帝に無断で
船団を進めていていることを知りませんでした。

「これは反逆である!!
すぐさま永王李リンを追討せよ!」

勅命を無視された粛宗は、将軍・皇甫センと高適(こうせき)の
軍勢を差し向けます。

高適は詩人でもあり、李白・杜甫とは
二年ほどつるんで旅行したことがある
友人同士でした。

友人の李白が、敵軍に加わっている。

そのことを高適が知っていたかどうか、
定かではありませんが、もし知っていたなら
心中おだやかならぬものがあったでしょうね。

粛宗軍と永王李リン軍の船団は金陵(南京)郊外の
丹陽城(江蘇省鎮江市)で戦となります。
李白は、兄弟どうしが争っている状況を理解していたのかどうか。

金陵
【金陵】

「なぜだ!なぜ反乱軍ではなく
官軍がわれらを攻撃してくるのだ!!」

そんなこと言ってたかもしれません。

永王李リン軍はさんざんに打ち破られ、総崩れとなります。
永王李リンは捕らえられて斬られます。

李白 流される

李白は長江沿いに西へ逃げますが捕らえられ、
尋陽で牢に入れられてしまいます。

尋陽
【尋陽】

「助けてくれ。わしは無実だ。出してくれえ」

李白は獄中であらゆる伝をたよって手紙を書きます。
妻の宗氏が夫のために各方面に働きかけます。
そして出獄が許されます。

その間、長安は反乱軍から奪還され、
粛宗は長安に戻っていました。

「ふう。これで一安心」

ほっと胸をなでおろす李白。浮かれて詩など作っている所へ、
758年、はるか南の地、夜郎(貴州省北部)に流罪と告げられます。

「ばかな!わしは無実だ!!
夜郎?地の果てじゃないか。
あんまりだ。ひどい」

李白を赦免した大臣が失脚し、
状況が変わったのです。

ジタバタ、ジタバタ。悪あがきする李白。
しかし、どうにもなりませんでした。
ガックリ肩を落とします。なにしろ地図を見てください。
夜郎。はるか地の果てです。二度と戻ってこれなさそうです。

夜郎
【夜郎】

「遠く匈奴の地に捕らえられたいにしえの蘇武も、
あるいはこんな気持ちだったのか…」

南流夜郎寄内 李白
夜郎天外怨離居
名月楼中音信疎
北雁春帰看欲尽
南来不得豫章書

南のかた夜郎に流されて内(つま)に寄す
夜郎 天外 離居を怨み
名月 楼中 音信 疎なり
北雁 春帰る 看すみす尽きんと欲す
南来 得ず 豫章書

【内】は李白晩年の妻宗氏。李白は生涯四人の妻を持ちました。【天外】は天の彼方。この世の果て。【離居】は妻と離れて暮らすこと。【楼中】は楼の中。高台の中。【音信】は手紙。【疎】は手紙があまり届かないこと。

はるか地の果て夜郎に流されてお前と離れ離れになるのが恨めしい。
名月が高楼の中を照らしているがお前からの手紙は長く途絶えている。

【北雁】は北からの手紙を運ぶ雁。前漢時代、将軍蘇武は北方遊牧民の匈奴に捕らえられ、捕虜になります。長年にわたって故郷と連絡がつかない中、蘇武は雁の足に手紙を結び付けて、自分の居場所を知らせたといわれます。

【看欲尽】【看】は姿を見ること。【尽】は途絶えてしまうこと。【欲】はだんだんそうなる。(雁の姿を見ることも)だんだん無くなってくる。

【南来】は南へ雁が帰っていくこと。【得ず】はできない。【豫章書】【豫章】は江西省南昌市。李白の妻宗氏がいたところ。豫章からの手紙。

北からの雁も春には帰っていき、その姿を見るのも稀になってくる。豫章にいるお前からの手紙を、南の夜郎まで運んでくれるわけもないし。

恩赦

李白は船に乗せられ長江をさかのぼります。
といっても窮屈な囚われの身ではなく、途中観光したり
友人たちと会いながら、のんびりと護送されていったようです。

759年8月、白帝城付近で遅れて長江を下ってきた
使者の船が追いつきます。

白帝城
【白帝城】

「李白殿、李白殿はおられるか?」
「はあ、私ですが」
「皇帝陛下より勅命です」

使者は書状をうやうやしく取り出して、読み上げます。

「李太白。
右の者、永王李リンの叛乱にくみせし罪、
まことに許しがたきものなれど、
今や帝都長安は奪還され、
朕、十代の帝として先帝の跡をつぐ。
喜び限り無し。よって特別の恩赦を下す。
すぐに帰還の準備をせよ」

ぶわっ…涙をあふれさせる李白。
おそらく、親戚じゅうが恩赦のため
働きかけてくれたに違いありません。

「やった。赦された!助かった!!」

罪を赦された李白はもとの船路を引き返しますが、
安禄山の跡をついだ史思明によって
各地で戦乱が続いていました。

李白は秋になってようやく武昌(湖北省武漢市)までたどりつきます。

武漢
【武漢】

次回……
「安史の乱と王維」
お楽しみに。

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